四国がアツい
2004年 09月 30日
サッカーJリーグ2部(J2)への加盟申請をした日本フットボールリーグ(JFL)の愛媛FCの石橋智之総監督らが29日、松山市内で会見し「地域密着というJリーグの理念に最も忠実にチーム作りを進めてきた点を評価してもらえれば」と加盟に期待感を示した。
愛媛FCはJFLの年間順位では現在7位と、Jリーグ側が示す「来期の加盟チームは2チーム」との条件には苦しい状況だ。
しかし愛媛FCの運営会社の村田祐司専務は「地元企業5社がメーンスポンサーとして内定し、下部組織の育成も着実に進んでいる」と強調。石橋総監督は「残り8試合をすべて勝ち、12月の理事会の決定を待ちたい」と意気込みを語った。
こんな記事があった。仲間通しで船団を組もうとしているプロ野球。世論に押された格好で渋々1チーム加えようとしている。それも破格の加盟料が必要。有名企業で老舗で金があればいいというように聞こえてならないし、毎年40億も赤字を出しているのが当たり前のような経営者の発言。どこかおかしい。
もし道楽だとしたら、限界がきたらつぎに道楽を引き継げる人をさがせばいいのであるがなかなかみつけるのは難しいのであるので、加盟しやすい環境をつくってあげる必要がある。
ただ、このご時世で言える事はもはや企業が会社のイメージアップのためにプロのチームを抱える時代は終わったのだとおもう。入る金も多いが出る金も多いのである。昨今は企業も団体で何かするのではなく、個人を応援する所がおおくなっている。水泳選手やマラソン選手を抱える企業が多くなっているのもその典型であろう。
サッカーに関しては、野球にくらべ、地域とのつながりを重視して行政ともタイアップしなさいとか、企業名をだすなとか、それも最初は大変だったようだがなんとか定着してきた。
ザスパを含め3チームがJへの加盟申請をするようだ。プロスポーツ不毛の地−四国で2チームがでてきた。ザスパの賢持社長はよく存じ上げているので加入したらいいなあとおもうが四国もなんとかいれてあげたらなともおもう。
愛媛FCは記事にもあるように元新居浜西の石橋さんが心血をそそいで作り上げた団体である。昨年も落とされたがなんとかなんないかなあ。
石毛の四国リーグも面白い試みだし、いま四国が注目である。
石毛がやってくれた
2004年 09月 29日
新・プロ野球だ!四国で野球の独立リーグが誕生、来季からのスタートが27日までに明らかになった。元オリックス監督で、現在同リーグの運営主体となる「株式会社IBLJ」の代表取締役・石毛宏典氏(48)が中心となって設立準備を進め、この日までに骨格が固まり、30日に正式発表されることになった。日本プロ野球組織(NPB)とは一線を画す独立リーグ誕生は、再編を進める球界にも一石を投じることになる。
再編を進める日本プロ野球界に、新たなうねりが起こった。プロ野球の球団が存在しない四国に、NPBとは一線を画す独立リーグが誕生、来季から1県1チームの計4チームで、歴史的な第一歩を踏み出すことになった。
【直じいコメント】 野球界ってけっしてピラミッドではない。サッカーのようにきちんと、組織が成り立ってはいないわけで、よそから見たら、いろんな団体(プロ野球、とか社会人野球とか、大学、高野連とか)が勝手に野球をやっているとしか見えない。きちんとした話し合いがなされての有機的なつながりなんてはっきりいって皆無なんだろう。
だから、プロ野球の球団問題が勃発したとき、僕は、いろんなプロ野球があってもいいし、特に県起こしには、プロ野球が一番なんだから、9月1日のこのブログで「知事さんやってみな」といったことがある。
そういった意味からもだれかがやったらいいなと思っていたが、あの消えていた石毛あにいがこんなとこで登場とはなかなかである。
かれは以前勤めていた会社の後輩でもある。お調子もんだがあの明るさで監督まで勤め上げた。結果は出せなかったが、まさかこんなこと考えていたとは。拍手を送りたい。
既存のプロ野球が決していいとは思わない。もっと観客を大事にする、あるいは地域性をだしたり、企業色を薄めたり、もはや巨人のブランドであぐらをかいている時代は終わったとのである。
ライブドアの堀江社長もこっちでがんばったほうがいいかもしれませんで。
石毛と堀江に万歳 !
川崎の昇格
2004年 09月 28日
今年は、川崎がダントツで決まったが、後2チームに関しては、相当面白く、スリリングな結末になるのは間違いないだろう。
川崎も毎年エレベーターのように行ったり来たりを繰り返しているが、いくら金をかけても、なかなか修正できないチームである。優勝できない名古屋みたいなもので、ある意味、親会社からはやく独立しないと同じようなことが、繰り返される可能性が高い。親会社からの出向から退職金精算して後がない状態にする必要がある。
その典型がマリノスであるし、浦和も独立して強くなってきた。
それにしても昇格記念のホームページ
はかっこいいなあ。なかなかこんなのできないぞ。IT企業の面目躍如である。サッカーもこの調子で!
可愛い渋井がまたまた
2004年 09月 27日
ベルリン支局】第31回ベルリン・マラソンは26日、当地で行われ、女子で渋井陽子(25)=三井住友海上=が2時間19分41秒の日本新記録で初優勝。孫英傑(中国)のアジア記録2時間19分39秒には及ばなかったものの、世界歴代4位に躍り出た。従来の日本記録は高橋尚子(スカイネットアジア航空)が01年9月のこの大会でマークした2時間19分46秒(当時は世界最高記録)で、3年ぶりに更新した。女子の日本勢は00年の松尾和美(天満屋)以来、5年連続の優勝。2位には大南博美(UFJ銀行)が2時間23分26秒で入った。男子はフェリックス・リモ(ケニア)が2時間6分44秒で制し、日本勢は渡辺真一(山陽特殊製鋼)が2時間9分32秒で6位に入ったのが最高。
渋井は9位に終わってアテネ五輪代表を逃した大阪国際女子(今年1月)以来のマラソン出場。男性のペースメーカーを前後に従えて序盤から飛ばし独走でゴールした。
▼渋井陽子の話 (高橋尚子の日本記録を5秒更新して)5秒かー。ま、いいか。(ゴールの)門(ブランデンブルク門)が待ち遠しかった。今までの苦しさが、きょうのバネになった。まだまだ、これからです。
【直じいコメント】オリンピック前に惨敗した渋井だったがこんなところで頑張ってくれるとは愛い奴である。愛いと書いて「うい」と読むとは知らなんだ。ういで変換したら「愛い」になったのであたりだろう。「憂い」ではないな。
まあ、そんなことより消えてしまっていた元気印の渋井が戻ってきたのがとてもうれしいです。オリンピック後のモチベーションの下がったなかでの日本記録は評価したい。
それにしても女子の強さはなんなんだろう。21世紀の日本は女性の時代に確実になるな。
渋井が今後4年間、どのように過ごし、どのように気持ちを維持していくか、これから大変だとは思うが北京のマラソンの日にあわせることは簡単なようでものすごい難しいことである。
アジアユース
2004年 09月 26日
観戦記というほどのものはない。どちらかというと寸評かな。
このチームの特長はまず大熊監督の声が大きくて、解説の松木さんがいらないということ。
それから、監督が云ってる事がどうでもいいことがほとんどで、ちょっと静かにしていてほしい。こういう指導者は少年サッカーに多い。僕らのまわりにいっぱいいる。
そういう僕もむかしはああだったかもしれない。
選手達は熱血監督とか熱い人とか云ってるようだがどうも本音は違うような気がする。「また始まったぜ。なに言ってんのよ。ワンプレーごとに。」
松木さんがいつもの元気がなかったのも同タイプの大熊監督の登場と関係はあるようだ。
監督はこのぐらいにして、チームとしてみてみよう。このチームけっこうバランスがとれていると思う。3.5.2の典型で両サイドにめちゃくちゃ足の速い2人を配し、トップにあわせるパスを徹底している。急ぐ時は増嶋からダイレクトに平山へ、競り合った後ろにカレンや兵藤が走り込むパターンが多い。
まず、平山ありきでの動きかたがほとんである。相手も弱いせいもあるが、このパターンの連続であったような気がする。
それにしても、平山、兵藤の凸凹コンビはとてもファンタスティックなプレーの連続で観ていて楽しいし、右サイドの中村の切れ味鋭いドリブルもなかなかのものがある。
3人とも国見卒であるが、足元の正確さが際立っている。苔口もダントツに速いのだが、3人のような正確さが足りない。ただ足の速い選手はむかしから多くいたが、きちんとしたプレーを身につけたほうがいいような気がする。
兵藤はすでに大学では1年生にも関わらず、もちろん司令塔である。都リーグの真っ最中で、不在は痛いが怪我をせず、帰ってきてもらいたい。平山と兵藤は大学生であるが是非とも大学サッカーの意義論の為にも頑張ってほしい。
最近聞いた笑える話
JFAの田島強化委員長が国見の小嶺先生にこういったそうな。
田島「やっぱり、平山はJリーグでやらせたかったですよ。」
小嶺「田島さん、あんたがその地位にいられるのも筑波出たからなんじゃあないの」
田島「、、、、、、、、、、」
世の中には楽しい話がたくさんあって話題がつきません。
磐田ユース(U-18)
2004年 09月 25日
ジュビロ磐田のユースは専用芝グランドを使っている。磐田の隣町の豊田町営グランドであるが、ユース専用で使っている。選手達はそれぞれの学校が終わると、自転車でエッチラエッチラこいで、グランドに駆けつける。選手の数はほんと少なくて20人を切るぐらいである。ただしスタッフは40代を中心に4〜5名いる。若い20代のコーチはいない。親父達が教えているのである。ちゃらちゃらしていないのも特長だ。
練習試合の時は試合に出る11名のみが練習する。サブは水をくんだりの雑用でグランドでボールを蹴れない。サブは試合がはじまると脇でそっとアップする。けっこう差別があるが、これはこれで当たり前かもしれない。
選手の体はけっして大きくないが当たり負けしないし、スピードもある。タッパもそんなでもないがヘッドは強い。ユース上がりではいままでそんなに目立った選手は出ていないが、今後は長年の成果が出てきそうである。
高円宮ユースがはじまるが以下のような記事があったのでご紹介
J1第2ステージで不振を続けるふがいない「先輩」をよそに、磐田ユースが元気いっぱいだ。
日本クラブユース選手権では決勝で広島に敗れたが、東海プリンスリーグで全勝優勝。メンバー中5人が選抜された国体・少年男子では静岡県が優勝。さらにこのチームから来季、U19日本代表候補のDF森下ら6人が、トップチームへの昇格を勝ち取った。普通、Jリーグのユースからの昇格は1人か2人程度であることを考えると、異例の多さだ。
「相手がクラブでも高校でも関係ない。我々はプロを目指す集団。全日本ユースでは、最低でも勝ち、最高でも勝ち」と内山篤監督は言い切る。
今年1月の就任以来、「敗者に美学はない」と選手たちに伝えてきた。
「甲子園で負けた高校球児たちが泣きながら土を持ち帰る場面は、私たちにはナンセンスに映る。あの時点でドロップアウトしているようなものだ」と、野球を例に出して高校とクラブチームとの意識の差を強調する。
U19日本代表合宿や国体などで主力選手が欠けることも多かったが、「チーム内の競争意識が高まり、選手層が底上げされた」。6試合を13人で戦ったクラブユース選手権よりも多く、交代カードが切れる上積みができた収穫があるのだろう。
磐田の未来を担うタレントたちが、国見高、市船橋高の「両雄」に割って入る可能性は十分ある。
【直じいコメント】ジュビロはたぶんこの大会で優勝は目指しているかもしれないが、そんなことはスタッフには勲章ではないかもしれない。要はプロ集団なんで、トップで戦える、銭になる選手を育てられるかを最重要課題にしているように見える。選手数も最低限でびっくりだし、1年生からでも使える選手をとっている。卒業して空いたポジションしか補充しないのである。このあたりが横浜あたりのチームとの大きな違いのように見える。
それから前述したように親父達が頑張っているし、会社側もそれなりの評価をしている。ここでがんばるとトップの監督の目も出てくる所がジュビロの特長ではないだろうか。
練習終わると選手達はトップも入っている同じ寮にまたエッチラと帰っていく。磐田の町はなにもないので、ドッコも寄らずに寮に帰る。ゆったりしたリズムでもある。この環境もいいのかもな。
う〜ん イチロー
2004年 09月 24日
イチローがすごいことやりそうだな。二日間で合計11打数9安打。あと10試合で10安打すると大リーグ記録だそうだ。なんかいとも簡単にやってぬけて、当たり前のような顔なのである。現代の眠り狂四郎みたいな奴である。
あのぶしょうひげ剃っちゃうとかわいくなってしまうので剃らないのかもしれないが、ぜひ、剃っていただくと彼の価値がもっと上がるのではないか。ひよわな少年の典型みたいだし、むつけき大リーガーに混じって、あんなかわいい選手はいないだろう。
野球のことはよくわからないが、彼の天分と、積み重ねてきた努力が、結果に表れているのかな。
ボールを打つタイミングとバットのヒットポイントそれから、体の向きから、重心、目、総合して打球線が決まってくるのだろう。だから狭く守っても「点」で勝負できるので破られてしまうのだろう。
サッカーも全く同じで、いいプレーヤーは体がそんな事を感じながらプレーしているのである
とにかく大リーグ記録が1920年からかわっていないのだから是非更新してもらいたいものである。
例えると、陸上や水泳の日本記録が83年前のもので今年破られるとかんがえたらものすごい事なのではないだろうか。
日本の野球界もストも中止になり、ちょっとは変わりそうになるかもしれない。
巨人の名前ではもはや客は呼べない時代になっていることを渡辺さんや堤さんは感じるべきではないだろうか。もはや長島や王はいないのである。
野球少年があこがれる第2の長島をつくるのではなく、いくら金つんでもいいからイチローを取り戻したほうがいい。
子供達は長島さんのプレー観た事ないから、あこがれはないのである。彼はぼくら50代や40代のすべてであった。
いつまでも長島頼みでは日本のプロ野球の発展はないかもしれません。
天皇杯始まる
2004年 09月 23日
昨年はタクマのおかげで選手権を含め、たのしい思いをさせてもらった。今年は岡がそれにつづけとばかりに頑張ってくれている。けがと手術で春先から、出遅れてはいる。痛みもとれたようなのだがまだこの大会には間に合わないかもしれない。まあ選手権ではやってくれるだろうから期待してまっせ。
組み合わせは以下の通りである
岡田武史語録より
2004年 09月 22日
A 部屋がスイートルームになったことかな。
加茂周監督の解任により、突如コーチから監督に昇格して 1997年
早稲田が2部に落ちたからって日本人類が困るわけじゃないからねぇ。
早稲田サッカー部の2部落ちを記者に知らされて、1997年
代表監督になったおかげで、王、長嶋、野村さんとの対談もさせていただいた。あとはキョンキョンと会うだけだな。
1998年 代表監督を務める喜びについて
ちょっとこれからダイエットしようかな。この仕事、見た目勝負だよ?
現場復帰に向けて、2002年
Q では、ファンへのメッセージを
A ファンはいないなあ…
インタビューの最後に、2002年
プレゼントはケガ人が戻ってくることだね。
47歳の誕生日に怪我人が続出する事を嘆いて、2003年
勝ったら 武子 って名前つけていいよ。
榎本達也に長女が誕生した直後の復帰戦で、2003年
正直、いろんな事がうまくまわってきて、棚からボタ餅がポトポト落ちてくるような状況で、 「こんなにうまくいっていいんだろうか?」 と、いつもどこかに落とし穴があるんじゃないかと歩くときは周りを見ながら歩いてました。
神戸に勝利して1stステージ優勝を決めて、2003年
Q 3試合連続で退場者が出たことについては?
A 私からコメントすることではないでしょう
またしても退場者を出して鹿島に逆転で敗れ、2003年
最後まで11人がピッチに立てていて、正直ホッとしてます。
退場者を出す事なく仙台に勝利して、2003年。 次の最終節磐田戦で榎本哲也がわずか15分で退場する事をこの時の監督は知る由もない
あいつ、電話してきたよ。「オカダサ〜ン、最高のブラジル料理、ヨロシクネ〜」 って。けどアイツ、PKはずしたらしいじゃないか。
横浜の優勝を決めた浦和エメルソンの同点ゴールについて、2003年
ようやくロレックスを持つ事ができました。
Jリーグアウォーズで優勝監督賞を受賞して、2003年
ロレックスが2つになりました。
Jリーグアウォーズで優勝監督賞に続き最優秀監督賞を受賞して、2003年
チームでも遅刻をしたら罰金1万円という制度がある。私も去年、1回だけ遅刻をしてしまった事がある。その時はどうしても自分が許せなくて、罰金として30万円を払った。このお金を一番信用してくれなかったのが女房で、領収書なしの30万円はさんざん突っ込まれた。
公演にて、2004年
【直じいコメント】早稲田が2部に落ちりゃ俺が困るんだよ。今じゃその下だずら。せめて2部に上がってほしいんだけんど。オカダ〜!
マリノスファンサイトから
岡田ってけっこう正直ないいやつである。なかなかいない。
今週の中村俊輔
2004年 09月 21日
レアルのカマチョ監督が不振を理由に辞任するようだ。あのレアルでさえ、いったんリズムを崩すと勝てなくなってしまう。サッカーって微妙なスポーツなんで、個人の能力以上にチームのバランスが要求されるスポーツである。
選手の試合途中での気持ちが、もろに試合を左右するのである。いろんなことが試合前からあると、ほんと集中できなくなってしまうのだ。もちろんサポーターにも即座に反応してしまう。
セリエAでのローマもひどいすべりだしである。チャンピオンリーグではサポーターの投げたものが主審にあたり、試合が没収されてしまった。またBから昇格したばかりの柳沢のいるメッシーナに4点もいれられ惨敗である。経営問題で物議をかもし、選手が大量に出された影響なのだろうか。ひどすぎる現状である。
ところで、われらが俊輔はどうだろうか。TVでやらないのでよくわからないが、イタリア各紙の寸評はまあまあで、チーム的にはポジションも確保でき、そこそこ頑張っているようである。
俊輔のボールキープ力とキックの正確性、それからパスコースのうまさ等、セリエAでも抜きん出ていると思う。中田が剛とすると、柔かもしれないが3シーズン目は強さも兼ね備えたプレーヤーになってもらえたらなとおもう。
スカパーも入っているのだがちょっと高いし、見る暇もないので(早く寝てしまう−ビデオでは緊張感がないので見たくない)いまでは基本料金だけの状態が1年も続いている。
スカパー復活も俊輔と中田次第である。