地震の余波
2004年 10月 25日
便利なようで,命がかかるような時,無用の長物では話にならん。
新幹線も脱線したようであるが,一歩間違えば大変な事になったと思うし、まさに台風23号の「バスの上の住人」といい、ハリウッド映画ですぐさま映画化されそうな、シーンである。
その場に居合わせた乗客の皆さんの気持ちはどんなだったろう。
気象庁の官僚が出てきて,「今回の新潟地方を襲った地震を中越地震と命名いたします」だと!。小渕恵三さんの年号を「平成」といたしますという記者会見と一緒にするな。ファックス一枚で用足りるんだから、TVヴツリの悪いおっさん出させないで、地震の警戒に当たっとれと云いたいよ。命名だなんて、何か勘違いしてるぞ〜。
そんなこんなで世の中物騒な話ばかりであるが、ここ横浜は相変わらずのサッカー三昧で多少の溜飲がさがるのでまあいいか。
市長旗杯の2回戦が行われ,我が横浜GSFCは中川西中学に1−0の延長Vゴールでやっとこさ勝てた。動きが予想以上に悪く,苦しんだが最後は押せ押せになってPKをもぎ取る事が出来た。観戦記は明日書く事にしよう。
それにしてもこんな状態なのにアルビレックスのサポーターの皆さん,500人も磐田くんだりまでよく応援にいくよなぁ。あきれちゃうほど感心するよ。家も全滅で家庭も崩壊じゃあシャレにもなりません。
磐田は僕の実家なんだがこちらだっていつ東海地震が起きてもおかしくない状態。ジュビロのスタジアムは僕らがこどもの頃は一面の茶畑だったと記憶している。
また昔、たんぼだったり、池だったところを埋め立てて住宅が建っているが、あれも液状化現象でも起きたらひとたまりもないな。心配だずら!