大学1年生の頃

大学1年の時,チームはそのシーズン、禁酒禁煙だった。
ただ、新人歓迎会の夜なんぞはどんちゃん騒ぎをした。そん時は無礼講だったと思う。
もちろん、僕ら1年生は日常はアルコールをたしなむなんてことは表立ってはなかった。
上級生が赤い顔で合宿所にご帰還というのも見た事が無かった。
下宿の上級生はどんなことしていたのか、そこまで規制はなかったのかもしれん。
そういうことを考える余裕は当時の僕らにはなく、ひたすら練習の恐怖におののいていたような気がする。

門限間近の時間に、山村とそっと合宿所を抜け出して、近くの神社の山門みたいなとこだったと思うが、かくれてタバコを吸いにいった記憶がある。
それでも好奇心からのタバコで、けっこうまじめだったかもしれない。
それが中学生の頃のことだったら、かくれてなんとかというのもわかるが、浪人の頃だって、たばこを嗜んだ記憶もなく、まして19歳でかくれてなんていうのは、うぶというか、カチンカチンの硬い体育会の学生だったのかな。

とにかくすべてに余裕がなかったのかもしれん。
授業にいくのが楽しいわけでもなく、ひたすらキック版と向きあう毎日だったような気がする。
にこにこサッカーグランドに出て行くなんていう事はゼンゼンで、緊張のしっ放しのワンシーズンだった。

朝は7時起床だ。
伝統の体操(ラジオ体操に毛の生えたようなもの)を型通り行なったら、1,2年生は武蔵関公園までランニング、そこで腹筋やら、腕立てやって、合宿所に戻る。
3、4年生はどうかというと、体操に出てきたあとは、学校に行く。
行くわけないーまた布団にもぐる。
11時頃まで寝ている。
1,2年生でまじめなのは、学校に行く。
もちろん朝飯は食っていない。
合宿所に食事する機能がないからだ。

今考えると、まあ、いうなれば学生のための飯場といおうか、素泊まりのドヤ街みたいなもんだな。
そういえば、合宿所のことをぼくらは「たこ部屋」と呼んでいたのを思い出した。
そうだ。「たこべや」だ。タコ部屋というらしい。

食い物がない合宿所なのにねずみが布団の上を走っていたし、学生服もすぐカビがついた。
トイレはくみとりで、毎朝1年生が掃除するんだが、タタキに蛆がはっていたなあ。
まあ、そんなのはどうちゅうことはないんだけんどよ。あたりまえだったから

体育会の学生なのに朝飯も食わず、お昼兼用の朝飯を中華料理屋の「芳葉」のレバニラ炒めやら、ラーメンライスを食ったり、隣の千代田の定食なんぞを食っていた。
夜も芳葉でとんかつ定食やら肉天を食っていたような気がする。
芳葉でカウンターに入って手伝っていた部員もいたよな。

隣の千代田のおばちゃんはとってもユニークな顔をしていた(こまわり君の女性版といってもよいだろうか)が店の若い店員と逃げてしまったなんてこともあったな。
にげちゃったから、ここまで言ってもどうちゅうことはないだろう

そんなこんなで一日2食だったりする生活を4年間も、まして油ギトギトの中華を毎日してたら、サッカーの成績がどうだったかは想像がつくだろう。
当時の4年生は1年生の頃、天皇杯を森キャプテン、釜本さん、大野さんらがいて元旦の決勝の場面に出場して栄冠を勝ち得たメンバーなのに。
もちろん、フル代表の選手もいたし、高校時代ユース日本代表だったのが部員45人中8人もいた。
それがだ、飯ももろくに食わずじゃあ、勝てるはずもなく、最後は足が止まって、やられるというパターンの繰り返しだった。
カンチャンズッポリの関東リーグ6位だった。
大学選手権は5位までの出場、入れ替え戦は7位と8位の最下位が出た。
6位はなんにもなかった。
あったのはOBの大ブーイングだけだった。

けっして、芳葉がわるいわけではない。
おじちゃん、おばちゃんにはほんと、世話になったんだから!
今でも、東伏見にいけば、必ず立ち寄るしよ。
あの頃、あばちゃんの背中にいた赤ん坊が、今、店を仕切っている。
by gsfc_aoshima | 2007-03-10 04:50 | ワセダ