松永章あんにーと飲む

あんにーとは遠州弁で兄貴の事。
あんねーとは同じく姉の事をいう。

昨夜は、このあんにーと浜松町で会った。
はなしはもちろんサッカーの話題になるのは当然であるが、そのなかで、オラが思い出した事がある。

昭和44年春、大学入試に合格し、手続きに上京したその足で、東伏見のサッカー部の合宿所を訪れた。
高田馬場から東伏見に着くまで、動悸がはっきりわかる。
はじめて東伏見の駅に降りた。
まづグランドに行く。
管理人のおっちゃんがいたので「サッカー部の合宿所」を教えてもらう。
このおっちゃんにはその後、4年間おおいにお世話になった。

木造の当時でもぼろぼろの平屋の建物だった。
玄関に立つと、引き戸はあいたままで、シ〜ンとしていた。
「失礼します」
ほどなく、パジャマを着た人がでて来た。
松永あんに〜だった。
おいおい松永さんかよと思った。
ここで寝泊まりしているのかと思った。
「なにか?」
「サッカー部に入部したいんですが」
「今、韓国遠征に行っており、だれもいない。どこから来たのか?」
「磐田南高です」
「じゃあ、話しておくから」
たったこれだけで話は終わった。
松永さんは韓国遠征には怪我で帰って来たとのことだった。

オラは狂喜乱舞、行きはどきがむねむね、いや胸がどきどき!
帰りはこころのなかで万歳三唱、なんどもなんども!
もう、天下をとったようなもんだった。
とにかく、うれしくて、うれしくて、大学合格したよりうれしかったと記憶している。

すぐさま、磐田に戻り、ふとんひと組とみかん箱1箱の身の回り品を送る。
そして、上京した。3月20日頃だ。

夕方、合宿所に入った。
「失礼シマ〜〜〜〜ッス。磐田から来た直助です」
今度は松永あんにーではなくHマネージャーの部屋に連れていかれた。
「お前かァ、あの布団は!だれかにサッカー部に入りたいって話した?」
ぎへ〜〜〜〜〜〜〜っ!聞いてないのかよ。
「あのぅ、松永さんに入部オーケーしてもらってんですけど」
そうかぁ。ふとんも送ってンじゃあいれないわけにもいかんよな」
ていうことでめでたく入部が決まった。

プレーもなんにも見ないでも決まったのである。
まあ、その頃は今と違って。体育会でスポーツやるなんて物好きは、ほとんどいなかった。
その年の新入部員はたったの10人で、まあ、入りたいのはだれでも入れたの間違いない。
同好会はどうかというと、こちらは100人以上もいる大部隊で、そっちのほうがかっこよいという風潮もあったと思う。

そんなことを思い出しながら、松永あんにーの話を聞いていた。
心地よい酒だったずら。
by gsfc_aoshima | 2006-10-25 08:26 | ワセダ