川越の焼き芋と暖簾
2013年 04月 26日
つぼ焼き芋を食べたくて!
早稲田の合宿所は西武線の東伏見だったし、卒業して就職したのは西武グループで、西武線には愛着はあったのだが、本川越までは行ったことがなかった。
西武時代に本川越から横浜の営業所まで毎日通っていた課長がいたが、その距離感はよくわからなかった。
横浜で仕事が終わった後、その課長とよく麻雀をしたが、23時頃タクシーで本川越まで帰っていた。
もちろん会社のチケットでだが。
バブル期でいい会社だった。
でも、その会社も今はもうない。1000人もいた会社なんだが,交際費使い過ぎたかも!
オラみたいな若造でも名刺でタクシー乗れた。関内の高級クラブで、社員同士でしこたま飲んで(もちろん自腹ではない)、金沢文庫まで帰るとき、運転手さんから言われたのは「金沢文庫ですか?今夜はついてねぇなあ。小田原か川越の人だったらうれしいのに!」
なんていわれる始末。
30代半ばで川越までほぼ毎晩タクシー。
会社はほんと儲かっていたということだな。
その行ったこともない本川越まで行ってきた。
昭和30年頃、小学生の時に町内の駄菓子屋の大村さんでよく買ったつぼ焼き芋を食べたくてよ!
本川越,ほんとに遠いじゃないかよ!
よくまあ、課長は毎日横浜まで通ってたよなあ。
給料よりタクシー代の方が高くねぇ?
その川越で平本屋さんの安くて懐かしい焼き芋ーうまかった
大きな壷のなかに針金で吊るして,下からの熱で焼くわけだが、まったくこげていない。
そうだ!この懐かしい味。レンジでは味あえない柔らかさ。
恐るべし遠赤外線
そして1個150円は安い。グラムいくらなんて言ってないところもいい。
オヤジさんは70ぐらいだと思うが,とっても優しかった。
古い町並みも川越の通りもちょっと歩いた。
暖簾がいいなと思った。
そしてこんな看板の居酒屋もあった。
タコさんという、ばあさんが女将なんだろうか?
入ってみたいとは思わなかった。