昭和47年関東大学サッカーリーグ

昭和47年11月12日西が丘サッカー場での関東大学リーグ最終節の最終試合は、くしくも優勝をかけた早稲田vs中央の試合だった。
前年も1位の早稲田、2位の中央ということでの組み合わせである。
早稲田は引き分けでも優勝だったが案の定引き分けてしまった。
とにかく混戦、3勝3分け1敗で優勝である。

当時は勝利の勝ち点が2だったので引き分けが非常に多かった。
中央は2勝5分けで2位である。
現在の勝ち点3で計算しても、早稲田はこのとき優勝にはなるがラッキーだったというしかない。
初戦明治引き分け、第2戦の日体大戦も負けだし。
27名の狂った戦士達と、今から考えるともっと狂っていたかもしれない監督、コーチの皆さん。
サッカーの神様が取り憑いてくれたに違いないと思うしかないのである。

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ベレー帽が堀江忠男監督、おとなりが小松部長。いまはもうお二人ともいない。

2列目左側サングラスが吉田コーチ、そのとなりが鬼助といわれていたオラだが、練習が終わると、夜な夜な新宿六本木にくりだしてチャラ男に変身していた時期もあった。
3列目右端が小田島コーチ。

この首脳陣がいなかったら、きっとオラなんかただのひねくれ男で終わっていた。
ほんとお世話になった。
感謝である。
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優勝カップを高々と掲げることができたのも、みなさんのおかげだ。
もちろん、サッカーをやることに理解があった両親にも感謝である。
by gsfc_aoshima | 2012-01-12 08:33 | 昔の仲間シリーズ