いまから35年前、アディダスのスパイクの一番いいやつが15000円した。大学4年生になってそのスパイクを買った。宝物のように大事に扱って、対外試合の時にしか使わなかった。毎月の仕送りが30000円だった時代である。
時代はだいぶ経ったのにスパイクやボールの値段が上がっていない。むしろ安くなっているようだ。

 明日は保土ヶ谷区の少年のお別れサッカーがあるので賞品にボールを購入しにプロショップに行ったのであるが当時よりはるかに安いのである。品物にもよるが40年前でも5000円はしたと記憶している。
 日本製でピーコックという会社のものである。
 今日のボールはアディダスであるが中国製で2500円で買えた。

 ちなみに35年前のスパイクは『メイドイン−ジャーマニー』だった。ジャーマニーやメイドインージャパンはもう存在しないのかもしれない。ちょっと寂しい(;_;)

2004年2月29日(日)
保土ヶ谷お別れサッカー試合
 保土ヶ谷区6年生の最後の大会が光陵高校で行われた。前日の天気予報では『全国的に午前中雨です』とのこと。5時から起きて気にしていたが行いがいいのか、なんとか開催することが出来た。GSFは本年度の区の幹事を務めてきたがやっと最後の大会になった。

 これが終われば年度総会での報告で大役を終わることができる。つぎは12年後だ。
 もう僕的にはいいです。若い衆お願いします。!
 山本会長始め、学年の役員やコーチの皆さん、そして朝早くからゴールを運んでくれたご父兄に感謝いたします。そしてすべての関係者に感謝します。ありがとうございました。
 全大会がつつがなく終わったことよかったです。GSFの結束強く感じました。
 試合の方はGSFの6年生けっこう良かったのです。決める時に決めれなったため新井SCに負けてしまいましたがどっこいどっこいでした。
 みんなの集中力が出せればあんないい試合ができるというお手本のようでした。
 
14日のGSカップが楽しみになってきました\(^o^)/
 優勝は新井SC、準優勝は保土ヶ谷エルフィンズでしたが新井の8番の切れと、10番の玉出しの良さが目につきました。

2004年3月1日(月)
 昨日は厄日だったのか
 光陵高校での区の大会とその後のJr.ユースのオフサイドとの練習試合があった
サ ッカー三昧の一日で昨日の夜まではごきげんだった。
 ところがであるー一夜明けると高校内で部室での盗難があり、一日奔走。

 夜にJr.ユースの山口のお母さんからメールが入っていたので開けてみると練習の帰り道で、ちゃりんこで転んで手首骨折とのことーまいりました。
 ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。5浪していた1期生のひろしが来てくれたのでサービスしすぎた。最後の10分がいけなかった。暗くまでやってなければ、タクヤの怪我もなかったかもしれない。

 大会責任者として、かつ指導する立場としては細心の注意とこころづかいが必要なのを忘れていた。
 今日は親父の命日でもあり、親父からの戒めのメッセージだと思えてならない。

2004年3月2日(火)
あと11日でJリーグ開幕
 ワールドカップやオリンピックの予選が始まり、あわただしいがJリーグも13日より開幕する。今シーズンは新潟がどのぐらいできて、観客をどのくらい集客できるのかが非常に興味がある。

 新潟県はもともとはサッカーの土壌や伝統はない。代表に選ばれたのは新潟工業出身の神田ぐらいのサッカー後進県である。
 なんでこんなに新潟県民はサッカー好きになっちゃたのか、不思議でならない。
「ただ券」配っただけではこんなにならない。なにが新潟人を狂わせたのか興味津々でもある。
サッカーで『県起こし』をしちゃった典型であろう。これから、新潟のような県が出てくることを願うばかりである。

2004年3月3日(水)
平山の高さと田中のパス
 レバノン戦はまさにこの2人で勝った。
 平山がヘディングに競り勝った瞬間にゴールが決まったといってもよいだろう。
 頭を含め、まわりが見れて、シュートはほとんど枠に行く。釜本さん以来であろう。
 ジーコはもうフル代表に呼ぶ決意をしたと思う。

 田中はそのスピードもさることながらピンポイントのパス精度が魅力でもある。昨季シーズンで
 しばしばエメルソンとのパス交換で得点が入ったがそれが如実に活かされていた。
 山本監督は今回FWの中心を大久保から平山に乗り換えたのだと思う。平山が国見の1年生のとき、最上級生だった大久保では平山が萎縮してしまうだろうと読んだにちがいない。
 
山本のドラステックな一面がよくわかる。またかれは今までずっと使い続けてきた三田や池田を切って徳永を使っているが彼等と同じタイプのフル代表の茂庭をサブに置いている。
 古いタイプのDFはもういらない時代にきているのだろう。
スピードがあって強いフィジカル、そして精度の高いパスをだせるプレーヤーを望んでいる証拠である。

2004年3月4日(木)
明日はUAE戦
 勝たないと地力での1位通過がなくなる。最悪引き分けで日本に帰ってこい!
 お願いします。平山大明神、両田中八幡宮、徳永天神社、松井恵比寿講そして山本天照大御神様

2004年3月5日(金)
早く帰ってこいU-23日本代表
 やってくれた。山本天照大御神泣いていた。僕もぐ〜っとき た。だけどこんなので泣いてたらフル代表の監督絶対できない。 もっとプレッシャーあるから。
 フランス大会のあと岡田監督の家は大変だったそうである。
かみそり送られたり、無言電話あったりで。
 日本人ではあまりのプレッシャーで家庭がずたずたになるようだし、本人が心身症になってしまう例が過去にあった。
 その点、外人監督の場合、言葉や文字の問題で、それほででもないようである。
 
 しばらくはジーコでいい。
 つきにも恵まれ、勝つことができたが、一日も早く日本にかえってきたほうがいい。怒られるかもしれないが異様であった。UAEの応援ー全員男だぜ!
 日本ラウンドは黄色い声の声援が必要だ。たぶんこれさえあればさらに力倍増だ。

2004年3月6日(土)
長島監督倒れる。
 野球界の至宝、いやスポーツ界の至宝、いや日本の至宝いや日本人の魂の源、長島監督がお倒れになった。これは大変なことである。

 僕らが少年時代のスポーツは三角ベースの野球だった。小学校の時、立教の長島茂雄(佐倉高出)が巨人に入団し、南海に杉浦忠(挙母高出)が入団した。本屋敷錦吾(芦屋高出)は阪急に入った。みんなカッコよかった。本屋敷は映画俳優並みのカッコよさだった。大川橋蔵の新吾10番勝負か芦屋の錦吾かごちゃごちあだった。
 皆、少年たちのあこがれだった。あのころ長島さんの胸毛さいこうによかったし、おとなになったらあんな胸毛はえてこないかなとも思ったりした。
 だから、みんな野球の事は詳しかった。いまでも野球おたくである。
 巨人が浜松に来た時広岡からもらったサインをずっとだいじにしていた。いまでも実家の押し入れをさがせば出てくるかもしれない。
 サッカーと接したのは高校に入ってからだったので小中学生のころは野球が大好きだったのである。
 だから長島さんが引退した時、テレビをみながらずっと泣いたいた。
 オリンピックの監督という重圧は並みのストレスではないだろう。
 山本監督も昨夜は泣いていたもんな!
 長島さんがどうかなったら昭和生まれはもうへろへろになってしまう。日本の国の再生はたぶんしばらくダメになるのは確実である。
 ゆっくりやすんでもらいたい。

2004年3月7日(日)
東伏見詣で
中学3年の後藤を連れて早稲田の練習に。
 平山も飛び級でU-23にでるくらいなの…
# by gsfc_aoshima | 2004-02-28 17:00 | 恥ずかしながら直助 | Trackback | Comments(0)

元アビスパ原田と会う

ザスパ草津の練習に参加していた武男と横浜で会うことになった。フリューゲルスに在籍していた時、2人でよく行った中華料理屋『李園』で待ち合わせた。この店は
元町から本牧へ行く途中にある。知る人ぞ知る店で安くてうまくて狭い。元町の先のトンネルを抜けて信号たしか7つ目の左側の赤い看板が目印である。
トレーナーをデザインしてくれた平塚さんを交え3人でおおいに食べた。
 
 武男君は『李園』がほんとにひさしぶりだったのでけっこうハイになっていた。
 新しいチームがまだ決まっていないのは寂しいことだがまだ十分やれるのだからあきらめず頑張ってほしい。32で引退はちょっと早すぎる。
 彼はいまサッカー界ではトレンドの国見出身で小嶺先生の愛弟子でもある。
 僕との付き合いも彼が大学1年の時からで学生時代からGSFにも来てくれた。だから、余計に気になるのである。

 『李園』はやっぱりうまかったが今度は試合に来た帰りに二人で寄りたいものである。
それから李園の先…
# by gsfc_aoshima | 2004-02-27 19:38 | ワセダ | Trackback | Comments(0)

試験休み

この時期、中学校は年度末試験なので、先週から試験前の勉強で休む子が多かったので今週は100%オフにした。
 スタッフの休みはこの試験の時だけになにかほっとする時期でもある。
 ただ、本年度から試験の数が少なくなった中学が多くなった。僕らの中学生の時でも学期ごとに中間、期末とあったので前期、後期ではしっくりこない気がする。
 僕は、団塊の世代で人も多く、けっこう受験勉強も熾烈だった思い出がある。
 若い時は勉強もスポーツも欲張ってやってもいいんじゃないかな。
 楽してもいいことないし、大人でも難しい自己管理が中学生年代にできるわけないのでみんなでケツたたくことも必要かと思う
 サッカー大好きなのは分かるけど勉強も多少はやんないと試合に出せないぞ。サッカー用語は英語なんだから(^_^;)
中学生年代でもオフシーズンは必要かも(‥?
# by gsfc_aoshima | 2004-02-26 19:37 | ジュニアユース | Trackback | Comments(0)

サッカー熱の温度差

日刊スポーツの記事にこんなのがあったので抜粋ですけど紹介します。僕もオマーセン戦の時少し感じていた。『日本が予選勝ち抜いたのは歴史上たった1回だけなんだから。なにがあるかわからんぜよ。日本そんなに強くない』と。

 田誠記者
 「これがサッカー熱なんだろうな」。ジーコジャパンを批判する熱、語り合う熱、懸念する熱…。理想を言えばニッポンが勝ち進むために集約されるべき熱なのだろう。
2年後のW杯ドイツ大会へ向けて、まだ1次予選が始まったばかりである。それも1
試合を終えただけなのに、まだまだ「余熱」が治まる気配のない日々が続いている。

 気になるのは温度差だ。

 日本代表主将の中田英寿は明らかに不服そうな表情を浮かべていた。オマーン戦の終了直後だ。ロッカールームに労をねぎらいに訪れた川淵三郎キャプテンに、こう漏らしている。「何でサポーターは僕らにブーイングするんですかね」。0−0で前半
を終えた直後に6万観衆から発生したあのブーイングだ。
「オマーンを格下だと思っていない」。中田は試合前日にそう発言して、ピッチの内外へ警鐘を鳴らしていた。W杯予選の異様な雰囲気と緊張感、計り知れない重圧。
 それはみんなも知っているはずじゃないかと訴えたかったのだろう。そんな簡単に勝てない戦い、それがW杯予選じゃないか。         監督を交代させてまでフランス行き切符をつかんだ7年前の辛苦を忘れたのか…と。
 中田はこうも言っている。試合終盤、引き分け狙いで時間稼ぎに出たオマーンの行為に「なぜあれにはブーイングしないんだ」と不満を漏らした。
サポーターとの温度差。中田がそれ以上に危惧(きぐ)していたことは内なる戦い、戦闘意識の欠如だったのではないだろうか。長期合宿の疲れか、体調不良なのか。代表選手から覇気が伝わってこない。「(苦戦したことで選手は)真剣勝負の大事さが
身に染みて、体感できて良かったんじゃないかと思う。僕からも伝えていきたい」。
 試合後の辛らつとも思えるコメント。フランス大会出場を目指した97年の最終予選以来、W杯予選という修羅場から遠ざかっていた日本代表は忘れていたものがある。
もっと熱くなれ。そんなメッセージのように聞こえた。
# by gsfc_aoshima | 2004-02-24 19:35 | 日本のサッカー | Trackback | Comments(0)

お別れサッカーを開催

いものでいよいよ6年生が終わりに近付いてきた。別にサッカーが出来なくなるわけじゃあないのでどうということはないのだが、GSFのブルーのユニホームが最後になるのである。1年生からの子供達もいるわけで、6年間も毎週毎週あきもせず、続けてくれたことに感謝である。80日/年間×6年とするとけっこうやったことになる。

 1年間毎日より週1、2回×6年のほうが段違いに重みがある。
 自分の小学生の時はサッカーなぞやってなかったので習字の塾に通っていた。これは6年間やって県知事賞までとった。そろばんは4年生の時半年通って2階級しか昇進しなかった。算数の塾は6年生の時1ヶ月通った。わからないからすぐやめた。(^_^;)
 英語は中1で半年通った。以後何もしなかった。
 
 ここにきて6年生の顔が少し変わってきたような気がする。すこし色気づいた顔になったようだ。
 最後の保土ヶ谷区の大会頑張って下さい。
# by gsfc_aoshima | 2004-02-23 19:31 | ジュニア | Trackback | Comments(0)

年度計画

 県ジュニアユース連盟の年度計画が知らされた。大きな変革は登録がコンピューターによるWeb登録になったことだ。大人も子供もすべてパソコンからの入力でオーケーになったのは画期的である。いちいち書類に書く必要がなくなり、選手証の名前が間違ったりしなくなりそうだ。

 ナログ人間にはとっても厄介なことではあるが、もうそんなこといって通用する時代ではなくなりそうである。
 その他の指針としてはリーグ戦はA戦だけでなくフレンドリーマッチとして人数が余っているチームは必ずB戦をやって選手に出場の機会を与えてくれとのこと。

 今までは1日がかりで1試合だった。見ているだけでその日が終ってしまうケースが
かった。
 集ったチームでフレンドリーが義務付けられることは効率的だし、プレーヤーにとってB戦といえども試合にでてアピールする機会を得れることはモチベーションを高め技術の向上にも繋がり大賛成である。
 指導者講習会は倍増する計画だそうだし、中学生の審判による公式戦の運営も始まり、中学生にも4級審判の取得を義務付けられそうである。
 これはお金のかかることなので頭が痛いが、質の向上に繋がると思う。
 ただ協会はお金が入ってくるのでいいのだろうが世界を見渡した時、中学生年代にも審判免許推奨している国はあるのだろうか。
 生徒手帳提示したら8000円を5000円にしてくれるそうだ。せこいぞキャプテン ただにせい!
# by gsfc_aoshima | 2004-02-22 16:58 | ジュニアユース | Trackback | Comments(0)

U=23は進化している

 ジュニアユースとコブラの練習があったのでU-23の試合を生では見れなかったがニュースで見ることにした。
 予想した通り、平山、田中の2トップはお互いの持ち味を存分に出していた。今、あの二人を止めるのは相当しんどいものがある。そのぐらいいい。
 
 そのままフル代表に使ったらいい。この凸凹コンビの特徴としてあまりいわれないが、けっこうフィジカルが強いのである。またこのチームの特筆している点はフィジカルの強い選手を重用していることである。
 闘莉王や徳永はその代表であろう。徳永は目立たないが、FC東京では日本代表の加地からポジションを奪う程である。その強さはチームNO1だそうである。

 かつての秋田や小村に代表される強さだけから精度のあるパスを出せ、バランス感覚を持った選手を起用するようになったのは大きな進歩といえるだろう。
 とにかく言えることはこのU-23はわずかここ1ヶ月でフル代表を凌ぐ程のチームになった…
# by gsfc_aoshima | 2004-02-21 19:30 | 日本代表 | Trackback | Comments(0)

原田夫人よりのメール

5月中旬の陽気だそうで車にのっていても窓なぞ空けるとしごく気持ちよい。気になっていた前アビスパの原田君の奥さんーシナちゃんからのメールで彼の消息がわかった。
 消息なんていうとちょっと心配な話だが、そうでもない。
こちらから、彼に電話すれば済むのだが、はっきりきまってから聞こうと思っていたので敢えて連絡しなかったのである。
シナちゃんによれば、現役を続けたく、チームを探しているとのこと。家にいてもしょうがないので『草津のザスパの練習に参加しています』

どうも来季J2に上がるチームー大塚あたりのオファーを待ってるようです。
 なんとか、彼のユニホーム姿を来シーズンも見たいものである。
# by gsfc_aoshima | 2004-02-20 19:28 | ワセダ | Trackback | Comments(0)

苦しみぬいての勝ち点3。とりあえず初戦なので良しとしましょう。それにしてもちぐはぐな攻撃だった。いまの日本代表には4.4.2より3.5.2のほうが合ってるし、プレーヤーもそちらのシステムだったらもっといい選手が選べるはずである。

 サイドのあの深い位置より、アレックスが突っ込んでもバックラインはできているので網にかかっていた。山田なんか前に行く気持ちもない。
 DFの坪井なぞ前試合の影響なのか、宮本へのサイドパスしか出来ないのである。
 FWにしても欧州で点を入れてないんだから日本に戻ってきてのほんとの真剣勝負に入るわけがない。中村にしても試合に出ていないんだから無理がある。
 とにかくひどかったがとりあえず勝ったのでアゥエーでのオマーン戦ではきちっとやったらいい。
# by gsfc_aoshima | 2004-02-19 19:27 | 日本代表 | Trackback | Comments(0)

久保のサイドキック

オマーン戦の決勝点は久保のシュートだったが、彼のシュートが決まったという報道はいっぱいあるだろうが、あのキックについて書く新聞記者はいないだろうから、僕が論評する。
 シュート場面のサイドキックだがあんな蹴り方でよくボールが転がるといいたい。
 久保にしかできないキックである。たぶん、キーパーは彼の足の上げ方を見てインステップでニアに来ると予想したと思う。まさかあの振りで(フォローもこれでもかというくらい大きい)ゴロで自分の足元ーフォアサイドにくるとはおもわなかったし、
だからセービングもできないほで逆をとられたのだと推測する。
決してあの蹴り方がいいとは思わないがあの蹴りかただから点になったと思う。

 プレーヤーの個性はこんなところにもあるのかと実感した次第である。
そういった意味でも久保はインターナショナルな選手だとおもうし、あのヘディングの高さはカメルーン並みである。うまい選手はいっぱいいる。変わった選手はあまりいない。必要だ\(^o^)/
# by gsfc_aoshima | 2004-02-18 19:25 | 日本代表 | Trackback | Comments(0)