大久保のヘッド

あんなにドンピシャなヘディングもめずらしい。平山に釣られてゴール前、がら空きになっていた。
大久保のヘッドもよかったが平山の存在感が得点に結びついた。
それにしても平山倒れない。高原なんぞはちょっと押されたらすぐこける。
フィジカル弱いなんて大嘘でちょっとやそっとでは倒れないー強い!
この大会終わったらぜひフル代表に召集してほしいです。
# by gsfc_aoshima | 2004-03-16 17:40 | 日本代表 | Trackback | Comments(0)

高橋尚子落選

 代表選手を発表したのは陸連の沢木だった。順天堂大学時代の沢木はかっこよかった。
 いけ面のスポーツアスリートだった。そんな沢木でも国際的には3流の選手だった。
 高橋は超一流である。今後はたぶん教科書にのるアスリートである。
 記者会見場の沢木は人相悪くなっていた。えらくなりすぎるとあんな顔になっちゃうのかという見本である。
 だいたい4大会で3人の選出からしてうさん臭い。さらにメダル獲得可能な選手とうたえば、Qちゃんとしては当然えらばれると思うよな。

前回までは実績で選出しているのに今回だけは違うなんてだいぶおかしい。
あのラドクリフに土佐や坂本が勝てるかい。!
 ぜったい勝てない。
 沢木〜ぃ オリンピックでだめだったら責任とりなさい。
高橋はたまたま東京国際では2位だったけどあれほどたくさん出場した日本選手のなかでは一番だったんだぜ。ちょっと記録はよくなかったけど。
 高橋と男子の高岡はだしてほしかった。みんな小粒だ。
 
Qちゃんの記者会見はけっこう爽やかだった。男を切った女優の記者会見のようだったと感じたのは僕だけかな
# by gsfc_aoshima | 2004-03-15 17:39 | その他 | Trackback | Comments(0)

GSカップ開催

1年の締めくくりとしてGSカップがおこなわれた。6年生にとっては最後の晴れ舞台。
今年は藤塚、藤の木、品濃ウイングスを呼んでのリーグ戦。昨年優勝の原FCはチーム事情で
来れないため、「カップはもう返さなくてもいい。とりきりでいいです」と連絡した
個人に篤くしようとボールを20個用意。
こちらの好き嫌いで選出させてもらう。好き嫌いでというところがなんとも気持ちがよい。
各チーム均等なんていうのは面白くない。「GSFのみんな〜持っていってくれ」と思っていたが
品濃にもってかれた。すごく残念だった。来年はGSFで独占して下さい 
表彰式もけっこう盛り上がり、楽しい大会でした。
午後からはコーチ連を含んだ練習をおこなったが、みんな汗がきらきら光っていて、
毒素が抜けてきたという感じがした。
ただ最後に渡辺と大西兄が交錯し、二人ともけっこうダメージうけたのが心配である。
渡辺は鎖骨骨折だった。
# by gsfc_aoshima | 2004-03-14 17:38 | 横浜GSFC | Trackback | Comments(0)

明日からはU-23の日本ラウンドが始まる。腸炎にかかった連中の体調がおもわしくないようだが、大久保と阿部にはとにかくがんばってもらいたい。
 特に阿倍のキックは速くて鋭くまがり、かつ正確なので期待してまっせ〜

 追加で明日はGSラウンド(GSカップだった)が朝から開催。
# by gsfc_aoshima | 2004-03-13 17:37 | 日本代表 | Trackback | Comments(0)

外池は広島で開幕初戦から出てくるのかな。生え抜きの森崎兄とサンパイオがいる
ので当初は無理かもしれないが、彼のパフォーマンスは必ずやどこかの場面で見るこ
とができるはずである。  期待してまっせ!
それにしてもそろそろJリーグもヨーロッパと同じように6月開幕にしてほしいな。
天皇杯の問題があるだろうが元旦に戦力外になった選手が出てくるのはあまりにも
しのびない。正月は高校サッカーで十分である。すみわけしてほしい。ジャンジャン!
# by gsfc_aoshima | 2004-03-12 17:35 | 日本のサッカー | Trackback | Comments(0)

キッズサッカー

最近、地域名を名乗ったサッカー体験教室が巷ではんらんしている。

小学生以下の子供達を対象におこなっているようであるが、僕らのまわりでも最近あって、この徒然記でも前に書いたのだが横浜じゅうにまん延してきているようだ。
 よそのチームからもそんな情報が舞い込んでくるようになった。
 横浜市の緑政局も神奈川新聞におおきく警告を発した記事をのせている。公園で金銭の授受があるのがいけないわけで有料グランドを借りてやればどうということないのに。
 たかがサッカー、されどサッカー。個人はどうということないのに団体となるとエゴまるだしになる。

 かなしいな!
しかたないからキッズチームつくってGSFで受け入れるぞ
# by gsfc_aoshima | 2004-03-11 17:33 | キッズ | Trackback | Comments(2)

ウイルスセイ腸炎

U-23のプレーヤーがUAEでもらった腸炎で苦しんでいる。
たしか先月わがGSFの石川コーチが患ったのも腸炎だとおもう。
けっこう苦しんでいたし、元気になるまで時間がかかったと記憶している。
Jリーグの開幕を控え、選手の供給は大変かもしれないが、この年代がオリンピックにでるチャンスは
一生ないんだから、是非とも協力してもらいたいものである。
病気をわずらった後、90分間走り回るスタミナを取り戻すってけっこう時間がかかるはずだ。
それから、全然違う話なんだけど、児童虐待、鳥インフルエンザ、長島さんの脳硬塞、 神戸少年の
仮釈放と続く一連のできごと、サモアの自衛隊がどこかいっちゃたようで
テロにでも出くわさないとふたたび脚光浴びないのかな。
明るい話がほしいーU23のオリンピック出場かな
# by gsfc_aoshima | 2004-03-10 17:06 | その他 | Trackback | Comments(0)

トトについて

あと5日でJリーグが開幕である。トトの最高払い戻し金は2億だそうである。
昨年もひたすら購入し続けた。ほとんど毎回1600円の投資をしたが3等にも
かすっていない。ギャンブル運はハッキリ云って無い。でも今シーズンももちろん購入し続ける。
今年は新庄見習って鉛筆ころがしてやろうと決めている。推理したら1億はでないから!
1等当たるまで買うぞ\(^o^)/
# by gsfc_aoshima | 2004-03-09 17:03 | どうでもいい話 | Trackback | Comments(0)

徳永の評価が高い

慶応のサッカー部OBのかた2人と仕事の打ち合わせを東京でした。
U-23の話題がでて徳永の献身的なプレーと前に行く気持ち、そしてフィジカルと持久力
につき、「もうフル代表でもいいな」との3人の合意がなされた。
昨日、同期の工藤も同じこと云っていた。ジーコに届くかな
国見の練習で培った体力は相当なものである。もう、異常なくらいすごいと思う。
云うのは簡単だが、ほんとに国見出身の子のスタミナはみるとよくわかる。
昨年、早稲田に入った松橋なんかインターバル練習(100米を16秒ではいって帰りは40秒で戻る)
何本やっても息が切れない。10本もきついのに2段ロケットのようにびしばし走れるのである。
僕も学生時代の最高は50本(2時間近くかかるぞ)ほどだが最後は背中を押されたり、
むちでたたかれながら16秒でやっと入れた。
なんだかんだいっても国見が全国で一番になったりいい選手を輩出するのはそれなりの練習
にあるのだと思う。この前小嶺先生が産経新聞に「そんなに走ってません」
といっていたがやっぱりめちゃくちゃ走っているそうである。
国見OBに確認したので間違いない。!
この春にまた新チームで御殿場に来るはずだから見にいくのが楽しみだ。
# by gsfc_aoshima | 2004-03-08 17:02 | 大学サッカー | Trackback | Comments(0)

いまから35年前、アディダスのスパイクの一番いいやつが15000円した。大学4年生になってそのスパイクを買った。宝物のように大事に扱って、対外試合の時にしか使わなかった。毎月の仕送りが30000円だった時代である。
時代はだいぶ経ったのにスパイクやボールの値段が上がっていない。むしろ安くなっているようだ。

 明日は保土ヶ谷区の少年のお別れサッカーがあるので賞品にボールを購入しにプロショップに行ったのであるが当時よりはるかに安いのである。品物にもよるが40年前でも5000円はしたと記憶している。
 日本製でピーコックという会社のものである。
 今日のボールはアディダスであるが中国製で2500円で買えた。

 ちなみに35年前のスパイクは『メイドイン−ジャーマニー』だった。ジャーマニーやメイドインージャパンはもう存在しないのかもしれない。ちょっと寂しい(;_;)

2004年2月29日(日)
保土ヶ谷お別れサッカー試合
 保土ヶ谷区6年生の最後の大会が光陵高校で行われた。前日の天気予報では『全国的に午前中雨です』とのこと。5時から起きて気にしていたが行いがいいのか、なんとか開催することが出来た。GSFは本年度の区の幹事を務めてきたがやっと最後の大会になった。

 これが終われば年度総会での報告で大役を終わることができる。つぎは12年後だ。
 もう僕的にはいいです。若い衆お願いします。!
 山本会長始め、学年の役員やコーチの皆さん、そして朝早くからゴールを運んでくれたご父兄に感謝いたします。そしてすべての関係者に感謝します。ありがとうございました。
 全大会がつつがなく終わったことよかったです。GSFの結束強く感じました。
 試合の方はGSFの6年生けっこう良かったのです。決める時に決めれなったため新井SCに負けてしまいましたがどっこいどっこいでした。
 みんなの集中力が出せればあんないい試合ができるというお手本のようでした。
 
14日のGSカップが楽しみになってきました\(^o^)/
 優勝は新井SC、準優勝は保土ヶ谷エルフィンズでしたが新井の8番の切れと、10番の玉出しの良さが目につきました。

2004年3月1日(月)
 昨日は厄日だったのか
 光陵高校での区の大会とその後のJr.ユースのオフサイドとの練習試合があった
サ ッカー三昧の一日で昨日の夜まではごきげんだった。
 ところがであるー一夜明けると高校内で部室での盗難があり、一日奔走。

 夜にJr.ユースの山口のお母さんからメールが入っていたので開けてみると練習の帰り道で、ちゃりんこで転んで手首骨折とのことーまいりました。
 ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。5浪していた1期生のひろしが来てくれたのでサービスしすぎた。最後の10分がいけなかった。暗くまでやってなければ、タクヤの怪我もなかったかもしれない。

 大会責任者として、かつ指導する立場としては細心の注意とこころづかいが必要なのを忘れていた。
 今日は親父の命日でもあり、親父からの戒めのメッセージだと思えてならない。

2004年3月2日(火)
あと11日でJリーグ開幕
 ワールドカップやオリンピックの予選が始まり、あわただしいがJリーグも13日より開幕する。今シーズンは新潟がどのぐらいできて、観客をどのくらい集客できるのかが非常に興味がある。

 新潟県はもともとはサッカーの土壌や伝統はない。代表に選ばれたのは新潟工業出身の神田ぐらいのサッカー後進県である。
 なんでこんなに新潟県民はサッカー好きになっちゃたのか、不思議でならない。
「ただ券」配っただけではこんなにならない。なにが新潟人を狂わせたのか興味津々でもある。
サッカーで『県起こし』をしちゃった典型であろう。これから、新潟のような県が出てくることを願うばかりである。

2004年3月3日(水)
平山の高さと田中のパス
 レバノン戦はまさにこの2人で勝った。
 平山がヘディングに競り勝った瞬間にゴールが決まったといってもよいだろう。
 頭を含め、まわりが見れて、シュートはほとんど枠に行く。釜本さん以来であろう。
 ジーコはもうフル代表に呼ぶ決意をしたと思う。

 田中はそのスピードもさることながらピンポイントのパス精度が魅力でもある。昨季シーズンで
 しばしばエメルソンとのパス交換で得点が入ったがそれが如実に活かされていた。
 山本監督は今回FWの中心を大久保から平山に乗り換えたのだと思う。平山が国見の1年生のとき、最上級生だった大久保では平山が萎縮してしまうだろうと読んだにちがいない。
 
山本のドラステックな一面がよくわかる。またかれは今までずっと使い続けてきた三田や池田を切って徳永を使っているが彼等と同じタイプのフル代表の茂庭をサブに置いている。
 古いタイプのDFはもういらない時代にきているのだろう。
スピードがあって強いフィジカル、そして精度の高いパスをだせるプレーヤーを望んでいる証拠である。

2004年3月4日(木)
明日はUAE戦
 勝たないと地力での1位通過がなくなる。最悪引き分けで日本に帰ってこい!
 お願いします。平山大明神、両田中八幡宮、徳永天神社、松井恵比寿講そして山本天照大御神様

2004年3月5日(金)
早く帰ってこいU-23日本代表
 やってくれた。山本天照大御神泣いていた。僕もぐ〜っとき た。だけどこんなので泣いてたらフル代表の監督絶対できない。 もっとプレッシャーあるから。
 フランス大会のあと岡田監督の家は大変だったそうである。
かみそり送られたり、無言電話あったりで。
 日本人ではあまりのプレッシャーで家庭がずたずたになるようだし、本人が心身症になってしまう例が過去にあった。
 その点、外人監督の場合、言葉や文字の問題で、それほででもないようである。
 
 しばらくはジーコでいい。
 つきにも恵まれ、勝つことができたが、一日も早く日本にかえってきたほうがいい。怒られるかもしれないが異様であった。UAEの応援ー全員男だぜ!
 日本ラウンドは黄色い声の声援が必要だ。たぶんこれさえあればさらに力倍増だ。

2004年3月6日(土)
長島監督倒れる。
 野球界の至宝、いやスポーツ界の至宝、いや日本の至宝いや日本人の魂の源、長島監督がお倒れになった。これは大変なことである。

 僕らが少年時代のスポーツは三角ベースの野球だった。小学校の時、立教の長島茂雄(佐倉高出)が巨人に入団し、南海に杉浦忠(挙母高出)が入団した。本屋敷錦吾(芦屋高出)は阪急に入った。みんなカッコよかった。本屋敷は映画俳優並みのカッコよさだった。大川橋蔵の新吾10番勝負か芦屋の錦吾かごちゃごちあだった。
 皆、少年たちのあこがれだった。あのころ長島さんの胸毛さいこうによかったし、おとなになったらあんな胸毛はえてこないかなとも思ったりした。
 だから、みんな野球の事は詳しかった。いまでも野球おたくである。
 巨人が浜松に来た時広岡からもらったサインをずっとだいじにしていた。いまでも実家の押し入れをさがせば出てくるかもしれない。
 サッカーと接したのは高校に入ってからだったので小中学生のころは野球が大好きだったのである。
 だから長島さんが引退した時、テレビをみながらずっと泣いたいた。
 オリンピックの監督という重圧は並みのストレスではないだろう。
 山本監督も昨夜は泣いていたもんな!
 長島さんがどうかなったら昭和生まれはもうへろへろになってしまう。日本の国の再生はたぶんしばらくダメになるのは確実である。
 ゆっくりやすんでもらいたい。

2004年3月7日(日)
東伏見詣で
中学3年の後藤を連れて早稲田の練習に。
 平山も飛び級でU-23にでるくらいなの…
# by gsfc_aoshima | 2004-02-28 17:00 | 恥ずかしながら直助 | Trackback | Comments(0)