カテゴリ:人物( 16 )

親父と東大

オラァん親父は大正9年生まれ、もうすでに14年ほど前に亡くなっている。
成人式の日に餅を喉につまらせ、そのまま意識戻すことなく2ヶ月後に亡くなった。

今朝は、その親父のこと。
親父は静岡県袋井市の小作農家の次男として生まれた。
性は「鳥居」というが鳥居元忠がご先祖様というわけではないだろうな。
武士でもないし、百姓だし。

尋常高等小学校を卒業して14歳で上京した。
尋常小学校は6年でこれは義務教育で、その上が高等小学校でもう2年だそうだ。
今の中学2年生までということだな。

東京は本郷近くのメリヤス問屋に丁稚として奉公したそうだ。
配達をしたり、小間使いとしてうろうろしていたんだろうな。

牛乳瓶の底みたいなメガネをして、和服でハンチングをかぶって、写真館で撮った18ぐらいの写真を見た記憶がある。
オラにそっくりでびっくりした。
その問屋で徴兵の赤紙が来たそうだ。
親父の青春はメリヤス問屋と軍隊、そして終戦というわけだ。
大正生まれの人は、そういう人が多いよな。
明治と昭和の狭間で、戦争で3人に1人は亡くなっている。

オラが中学生のころ、酒が入ると、かならず「オラは東大の門をくぐっていた」と云っていた。
子供心にスゴいなと思っていた。
自由に行き来出来る「赤門」をくぐっていただけなんだが!

一昨日、東大にサッカーの試合で行き、妙に興奮したのも、80年近く前、親父の青春時代がこのあたりにあったんだなということを思い浮かべていたのかもしれないし、オラのなかに存在する親父のDNAが懐かしがったのかもしれない。

だから、いつも親父やお袋が自分のそばにいるような気がするのはそういうことなんではないだろうか。
b0005596_916134.jpg

by gsfc_aoshima | 2013-12-10 09:05 | 人物 | Trackback | Comments(0)

今朝は今井美樹さん

今井美樹さんも50歳には見えない美しさ。
ユーミンの「卒業写真」も素晴らしい。
この二つが重なれば、もはや朝から聞き惚れて、今日一日いいことありそうな予感がする。

こちらをどうぞ

「中央フリーウェイ」も今井さんが歌うと、もはや違うイメージ。
夕方、中央高速、飛ばしながらこの曲を聴くのも、いいかも!
by gsfc_aoshima | 2013-12-04 07:37 | 人物 | Trackback | Comments(0)

語りの会 志摩明子さんをしのんで。

30年来の横浜でのお友達で、横浜でもおかしい人たちのひとりでもあるデザイナー平塚太一さんからのお願いで、あるホームページを作った。もちろん太一さんのもオラが作った。

ご依頼でなく、お願いなので、まったくの慈善事業である。

一昨日、丸一日15時間かけて完成したのが「語りの会 志摩明子さんをしのんで。」だ。
チャチャチャと作ってみた。オラも最近この手の作業は素早いと自画自賛。

志摩さんのことはオラは何も知らないが、横浜ボートシアターの創立メンバーで野毛の大道芸を支えてきた方らしい。
横浜の中村川にうかぶだるま船での横浜ボートシアターのことは、平塚さんから聞いていたので知っていた。

志摩明子さんという友達の友達が亡くなって、偲ぶ語りの会のコマーシャルホームページ。
より多くの方に見てもらえればうれしいし、2014年2月1日のにぎわい座の会場が満員になってくれれば、ちょっとばかりお手伝い出来た甲斐があるというものである
by gsfc_aoshima | 2013-11-22 06:10 | 人物 | Trackback | Comments(0)

W係長

杉田ゴルフ場勤務から、ある日なんの前触れもなく、西武不動産に移籍になったのは昭和51年だったと思う。
サッカーボールは全くといっていいほど蹴ってはいなかったが、ゴルフボールは毎日500発は打ち込んでいた。
大箱根CCのアウトで30台も出ていた頃である。

全くの畑違いではあったが、会社が変わるという感覚がないような組織だったので、またスポーツレジャーの方が忙しくなれば、そっちに変わるだろうなという感覚であった。

赴任先は横浜は天理ビルの20階だった。当時はこの25階建ての建物が横浜では一番高かったと思う。
建て売り部門の営業課に廻された。分譲地の建て売り住宅の販売で、逗子市沼間の逗子グリーンヒルというところ。
ゴルフ場の社員食堂で社員販売用マンション1000万なんてチラシも見たことがあったが、家を買うのにローンがあることすら知らなかったのが、ある日突然3000万もする住宅を売るギャップにとまどった。
ていうか、全くの素人なので、平日は「宅建主任者になるための知識」とか言う厚手の本をひたすら読む毎日、土日は現地販売所でもう一人の担当者のお手伝いだった。

オラが移ったときは営業課には副長1名(課長みたいなものなんだろう)係長1名、男子課員が6〜7名女子が4名だっと記憶している。
男子はみんな若かった。ていうか不動産が絶好調である日突然1000人になっちまったというような会社で、女子社員も大量入社みたいな感じで、どこかのキャバクラみたいな様相を呈していた。
課長がなんかいうと、切れた女子が「ふざけんな!いい加減にしろよなお前!」ていったりして、移籍前の会社が軍隊みたいなところだったので考えられない会社だった。
可愛い子もいたが、全体的にはホステスが制服来ているような感じだった。
朝から飲み屋に来ている感じである。

課の係長はWさんといい30代後半だったと思う。
移ったばっかりで何もわからなかったが、係長一人だけがなんか浮いているなと感じた。
その係長が入社1週間ほどの夕方、オラのところに来た。
「直助くんのこともいろいろ聞きたいので今夜ちょっと飲みに行かないか」と誘われる。
もちろん上司の言うことなので「宜しくお願いいたします」
他の若手課員も行くのかと尋ねると「えぇっ!?そう来た?行ってらっしゃいよ。僕らは遠慮するし!」

皆は逃げるように帰って行った。
W係長と会社近くのバーに行く。
2時間一人でしゃべりまくりで、何もオラのことは尋ねなかった。

「君ィなんかあったら僕に相談しなさい。みんなバカばっかりで営業のエの字も知らない。不動産を買わせる絶妙なタイミングを分かってないんだよ。うちの連中は!ダメダメ!」

「僕はね、名刀の切れ味・正宗だから!がはははは!」と腕を叩いていた。

以来、このW係長と指しで飲むことはなかったが、ことあるごとに「名刀の切れ味・正宗」を連発して場を白けさせていた。

今考えると、名刀正宗ではなく迷刀だったと思うが、オラも一度はだれかの前でこの台詞を使ってみたいと思っている
by gsfc_aoshima | 2013-10-03 08:39 | 人物 | Trackback | Comments(0)

加藤課長その②

今朝も加藤課長編なんだが、昨日「加藤課長」というお題をだしたら,1時間もしないうちに,faCebook上で、オラァの弟が反応してシェアした。

その中身はおおよそあっているのでfacebookをご覧にならない方もいると思うのでご紹介します。
......................................................
この話には驚くべき続編があります。

以下、兄から聞いた加藤課長と兄の会話。

「課長、そういえば課長は西武新宿線の中井にお住まいなんですよねぇ」
「おお、そうだよ」
「中井と言えば、今早稲田に通ってるオラの弟も中井ですよ」
「ほう、中井と言っても広いけどどのへんだね」
「なんでも目白学園の近くだそうです」
「ほう、僕も目白学園の近くだよ。奇遇だねえ。目白学園に向かって坂が何本もあって、僕のところは六の坂というとこなんだけど」
「え、オラの弟も六の坂ですよ」
「ほう、じゃあ弟さんの住所は?」
「えーと、ああ、ありました。新宿区中井0丁目0番地0号、加藤様方とあります」
「じぇじぇじぇっ、それうちだよ(*○*)!!」
「え、じゃあ弟の住所の加藤さんというのは、加藤課長!!」

ここで兄から電話がかかってきた。
「おい、お前が今住んでる下宿は、新宿区中井0−0−0、加藤様方とあるけど、それで間違いないか?」
「ん、そうだよ」
「その加藤さんだけど、加藤正明さんというんじゃないのか?」
「そうそう、加藤正明さんが大家さんの名前だよ」
「その加藤正明さんなあ、今、俺の目の前にいるよ」
「???」
「うちの課長だよ~~!!」
「じぇじぇじぇ」

ということで広い世の中どこでどう繋がっているのか不思議なこともあるものでした。
これは、作り話ではなく実話です。

.........................................................................................
以上。
このお話は,お昼の休憩タイムに加藤課長と喫茶店でお茶飲んでいる時のお話。
抜けているのが、「うちの弟の下宿している大家が小うるさい親父で」で始まった話だと思うが。
加藤課長は途中で、だまりこくっちゃったし!

まさか目の前にいる課長が自宅の2階を間貸しているとは,思いもしないし、1.2度泊まったこともあるような気がする。
たしか別玄関だったと思う。

まあ,とにかく漫才みたいなお話でした。世の中は実に狭いし、ご縁を感じる。
世の中全て,縁で結ばれているということだな。

それから、弟は,そんな大家でも,卒業して退去した時には次の借り手を見つけてきたということだ。

加藤課長に今朝も合掌!
by gsfc_aoshima | 2013-09-28 07:34 | 人物 | Trackback | Comments(0)

加藤課長

会社っていろんな人がいる。
漫画の世界、「釣りバカ日誌」みたいな話も現実にある。
大きな会社ほど逸話が多いのは人間がたくさんいるので100人100様だ。
もっとスゴい話だって山ほどだが,覗き趣味になるし、時効のような話でもネット上には出せない。

これはかわいらしくていいだろうというのをご紹介したい。
西武グループの国土計画という会社に入社して、3年経った時に西武不動産という会社に移籍になった。
37歳でやめるまで分譲地の販売や,建て売り、マンション、注文住宅の類いの部署で働いた。
30歳頃だろうと思う。
いまから35年近く前のお話。

当時,会社の保養施設が伊豆の今井浜にあり、プライベートで男ばっかし10人くらいで行くことになった。
会社の施設を使うので、稟議書を出さないと行けない。
もちろん、所長の決裁があればいいので、所長には、事前に了解を得ていた。
課長の印をいただき,所長のところにその稟議書を持って行った。
「直助クン、泊まるのは了解したけれど,車で行くんじゃあないだろうね?」
「車ですけど!」
「おいおい、事故があったらどうするんだね!電車で行くならはんこ押すけど車なら押さないぞ!!」
突っ返された。
今更である。いい大人が電車かよ。お金だって余分にかかる。
所長の席の前で立ち往生!
「課長も課長だよ!よく話を聞いてはんこを押さんとね!」
そしたら横に座っている定年間近の課長が「直助!ちょっとその紙!」
加藤課長という。
課長に戻した。
そしたら課長が机からはさみを出した。
何をするのかと思った。

課長は稟議書に押してある自分のはんこの欄をちょきちょきと切ってオラに戻してくれた。
稟議書に小さな四角の穴があいていた。

オラ達のささやかな1泊2日の旅行が中止になった。

課長は正直でいい人だった。忘れられない人である。
生きていたらもう90を越えているだろうな。
とりあえず未確認だが合掌!
by gsfc_aoshima | 2013-09-27 07:11 | 人物 | Trackback | Comments(0)