カテゴリ:昔の仲間シリーズ( 58 )

野辺山に行ってきた

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4月26日(火)野辺山、川上村、五光牧場に行ってきた。
高校時代の友人2人との計3人だ。

高校時代の友人でサッカー部の山崎。こいつは浜松に住んでいる。
大昔にオラァの従姉妹と結婚し、養子になる。
オラァのおっかさの紹介でよ!
女系家族の家に入り込んだわけだが、嫁の母親と馴染まず、家を出た。
あとから子供を連れて嫁さんも追いかけると言うことだったが、嫁さんが家を出ることができず結局離婚でなおかつ養子縁組も解消。
この時だけはオラァおっかさは怒っていた。
山崎にではない。
親戚の家にだ。
以来、山崎は独身だ。
ちょっとばっかしかわいそうな奴であるが、子供たちにサッカーを30年近く教えている。
これが唯一の楽しみのようだ。

もうひとりは奈良に住んでいる青山賢三 という。
オラは山崎とは高校のサッカー部で知り合ったが、この賢三とは小中高と一緒である。
唯一、幼稚園は違う。

磐田のおんなじ幼稚園を受験したがオラは受かって賢三は落ちた。
山の上にある高校付属の幼稚園を「上の幼稚園」と云って、上の幼稚園のお受験に失敗した幼児や無試験でだれでも入れるとこが「下の幼稚園」というわけだ。
ここで早くも差別があるということだな。
昨日の五光牧場で、お昼に吉沢さんから手打ちの十割そばを頂いたんだが、その時の話題がこの幼稚園受験の話だった。

受験の中身ーもちろん軽く合格したオラァは試験内容なんて全く記憶にないが落ちた賢三は覚えていた。
なんでも、その試験の一部にリンゴの食べ方という面接問題があってだ。
リンゴはそのままがぶりと食べますか?それとも包丁で皮を剥いてもらって食べますか?

どちらでしょう?

賢三はがぶりとそのまま食べると答えたようだ。
それで落ちた。

オラはもちろんリンゴは女中さんに剥いてもらってフォークで頂きますと答えたに違いない。

まあそんなお話を吉沢家でお話しし陽がな一日いたが、まだまだ標高1400mの野辺山は寒かった。
一昨日は軽く雪が舞い落ちたそうだ。
とにかく寒かったが春の息吹は感じられた。
がぁ〜、3月11日の大震災のあとの12日の明け方、長野を襲った地震の影響で五光牧場の池の土管が大きく
動いてしまい、全ての池の水が干上がっていた。

その日上がった池のほとりに蕗のとうが顔を出していた。
五月の中旬に桜が咲き、たらの芽やゼンマイの山菜類が芽吹くようである。
また行かないと!!
by gsfc_aoshima | 2011-04-27 06:31 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

原田武男その2

昨日、なにげに本棚のサッカー関連の本を1冊引き出した。
それも背表紙を見てその1冊を引き出したわけではない。
オラが持っている本のほとんどが雑誌だし、それもサッカーマガジンとサッカーダイジェストが40年分あるわけで、そりゃあもうけっこうすごい!

それもしょっちゅう昔の本を見ているわけでもないし、いつかまた見れればということで並べてあるだけだ。
いうなれば、捨てるに捨てられない代物ばかりなんだよ。

そしたら、表紙がこれだった。
1992年の4月のサッカーマガジン
読売クラブのトニーニョ。なつかしい
もう45は行ってるだろうな。
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得点入れると飛行機のポーズをしていたよな
そして最初のカラーニュースは
以下の通りだった。

バルセロナオリンピック、アジア最終予選の模様だった。
武男クンが出ていた。
ア式の現役学生だったと記憶している。
相馬もいた。池田もいた。
今はオラ達と戦っている工学院Fマリノスの監督している永山さんもいた。
昨シーズン、武男クンとおんなじ現役で頑張っていたのは永井選手だけだったと思う。
彼は武男クンとおんなじ国見出身だし1年先輩。
今シーズンもFC琉球でプレーするようだ。
カズに続くよな!
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懐かしい顔がいっぱいだ。
そして極めつけはこれだ。
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日本代表にも選出されたし、玄人好みの素晴らしいボランチだったと思う。
フリューゲルスの入ってからの活躍は見事だったが、当時のフリューゲルスはボランチに山口とサンパイオがいたし、山口は加茂さん好みの絶対外せない選手だったんで、もし違うチームに行っていたら、バリバリの日本代表になっていたかもしれない。

フリューゲルスの消滅という出来事が彼のサッカー人生にも大きく影響してしまったともいえるわけであの出来事は「なんなのさ!」と言いたくもなる。

雲仙市の国見にいる武男クンに熱烈なエールを送りたい。
ふれーふれー武男ぉ!
by gsfc_aoshima | 2011-02-03 09:02 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

原田武男が現役を引退した

2010年シーズン、Vファーレン長崎の中心選手だった原田武男クンこと、武男が39歳でスパイクを脱いだ。
横浜フリューゲルスに始まり、フリューゲルスの消滅、そして数チームに所属し、vファーレン長崎の創立から参加した。
ミスター長崎とまでいわれていた。
Jリーグ昇格という錦の御旗を掲げ、まさに先頭に立って走っていた。
生活態度や自己管理はプロのサッカー選手の見本でありそれを最後まで貫いた。

昨年の12月にチームより戦力外通告を受けた時、オラにも連絡が入った。
「まだまだやれるんでチーム探します!」と言っていた。
そして「来年は40という年齢から、新天地は非常に難しいと思いますが、あきらめないでオファーを待ちたいと思います」

そして1月26日の朝、武男からの電話
「残念ですがスパイク脱ぎます。」

今後はvファーレン長崎のスタッフとして、育成に携わる仕事になるという。
オラとしてはちょっぴり残念でもあり、ちょっぴりうれしかった。
現実的な問題として家族もいるし、いつまでも不安定な状態も良くないし。

でも奥さんのしなちゃんは、「もっとやってもいいよ!」といってたとのこと。
武男の一番のファンでもあるしなちゃんらしいことばだ。

ライセンスも取って行くようなプロセスを歩むとのこと。
早稲田ア式の同期でもある相馬はフロンターレの監督になった。
武男も長崎にいるかぎり、いつかは監督として相馬と同じ道を歩むに違いない。

オラが思うに武男の人間性や深い洞察力そして人への思いやりや配慮は素晴らしい監督になる要素を持っていると確信している。

第二の人生が2011年から始まった。
大いに期待しているわけである。
by gsfc_aoshima | 2011-02-02 07:48 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(1)

後輩、今井のこと

オラとは大学の入れ替わりなんだが、ワールドカップイタリア大会も一緒に行ったし、Cobraのヘッドコーチをしてくれたりした後輩、今井敏明クンのことなんだが、早稲田の監督を昨シーズンで終えてから久しく連絡を取っていなかった。
最後の電話から半年になるのだが、急に今井のことをなぜか思い出し、検索してみたらこんなのがあったんで紹介したい。

まさに今井らしいと言えば今井らしい。
asahi.comから

以下の通り引用
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裸一貫、炎暑の国スーダンでの監督挑戦

2010年7月27日

スーダン代表メンバーと記念写真に写る今井さん(後列右)

チュニジア戦前、ベンチで選手たちの様子を見守る
 「暑さは相当なもの。何しろ人工芝はチップが溶けて粘土状になっている」

 そう語るのは、元川崎フロンターレ監督の今井敏明さん(55歳)。今、アフリカ大陸のスーダンにいる。ワールドカップ(W杯)で日本が盛り上がったさなか、5月から同国のユース代表監督を務めている。A代表も英国人監督が辞任して監督不在のため、6月20日にはチュニジア代表との親善試合の指揮も任された。無報酬のボランティアだ。「まず実績を作って評価してもらい、金額は少なくても契約を交わしたい」。裸一貫の挑戦を始めている。

 2000年9月に川崎監督を退任し、Jリーグ加盟を目指していた福島ユンカーズなどを率いた後、2005年12月から2年間、台湾代表を率いた。これは日本サッカー協会が指導者不足に悩むアジアの国・地域へ指導者を派遣する事業の一環で、年俸は日本協会から出ていた。今度は、スーダンで医療支援をしているNPO法人「ロシナンテス」の知己を通じてスーダンサッカー協会とコンタクトを取り、飛び込んでいった。2008年、2009年は母校早大を率いたが、関東大学リーグで10位、7位に終わり、契約は更新されなかった。「アフリカにも興味はあったし、自分の持っているものがどれだけ通用するか確かめたかったこともある」

 スーダンは世界ランク121位。アフリカ52カ国中の32番目だ。W杯南アフリカ大会では、1次予選は突破したが、最終予選はガーナ、ベニン、マリを相手に5敗1分けの最下位だった。「世界へ出ていきたいというのがサッカー協会の希望だと思うが、本当のところはわからない。ただ、民衆のサッカーへの関心の高さは日本とは雲泥の差。娯楽がサッカーしかないのかもしれない。そこここの空き地でサッカーをしている人を見かける」。首都ハルツームでは市民リーグから州リーグ、プロリーグまであり、トップクラスはブラジル人監督を雇っているという。

 北部は砂漠、南部は熱帯気候のスーダン。この時期の暑さは実に厳しい。合宿での練習は暑さを避け、朝8時と夜7時半に開始するという。食事時間も変則。朝練前は紅茶を飲むだけ。練習後の10時半に朝食、3時に昼食、夜の練習後の10時半に夕食というリズムだそうだ。「だから、午前練習はきつくならないようにしている。豆の煮込みや野菜のぶつ切りが中心。たまに鶏肉や魚のフライが出るけど、全般的に選手の食事としては質に乏しく、問題がある」

 言葉は今井さんが英語で話し、英語を知る選手らがアラビア語でチームに伝える。突然監督を任せられたチュニジア戦は、4日間の練習しかできなかった。2-6(前半0-2、後半2-4)で敗れたが、「終盤は攻めまくり、前半も決定的なチャンスが2度あった。それが得点になっていたら、もっと良い結果になっていたかもしれない」と、W杯に4度出場したチュニジア相手の試合内容に手応えを感じている。地元テレビにも出演した。「『徹子の部屋』みたいな番組。僕と歌手が女性アナウンサーにインタビューされた。スーダンサッカーについてどう思うかといった質問を受けた。『サッカーの強いところには、いい音楽がありますね』と無難に答えた」

 今月24日には、ホームでアフリカユース選手権(20歳以下)予選のケニア戦を戦ったが、0-2(0-0、0-2)で、またも勝利はならなかった。「スーダンが試合を支配したものの、カウンターから中央でワンツーを決められ失点、さらに右からのクロスを、左足ボレーでスーパーゴールを決められてしまった」。

 これまで日本人が、アジア以外の代表監督に就いたことはない。「契約書がないので、監督なんだか、監督代行なんだか、今の立場はよくわからないものがあるけど、ケニア戦ではマッチコミッショナーも『日本人として初めてアフリカで指揮したコーチ』と言っていたので、監督なのでしょう」と苦笑する。「ただ、アフリカは結果オンリーだから、契約に向けてケニア戦の敗戦は痛かった」

 26日の役員改選で、今井さんに興味を示しているスーダンサッカー協会会長が交代したことも、不安定要素ではある。破天荒な挑戦は実るのか。8月にアウエーで行われるケニア戦への準備をしながら、吉報を待っている。(中小路徹)
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台湾代表監督の時、「台湾のクラマーさんになっちまえば?」と言ったことがある。
スケールの大きさは並ではない。
頑張ってほしいよな。
でもこの記事、7月の話で今でもスーダンにいるんだろうか?
by gsfc_aoshima | 2010-09-16 07:54 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

長沼健さんの1週間

サッカーマガジン昭和41年12月号通算第7号にこんな記事があった。
「古河電工の1週間」と題してこの年に発足した日本リーグの古河電工の現役でもある、今は亡き長沼健さんが綴ったもの。

現在のサッカー界では天皇とも言われている川淵日本サッカー協会名誉会長なんかも平の厚生課なんていうのも興味深い。

工藤早稲田ア式大監督なんかも登場しているし、古河の自前のグランドはなく、大学のグランドを借りていたという、まさにアマチュアそのものの話の連続だし、当時の日本サッカーの状況がよくわかる

古河が勝ったとはいえ、早稲田ア式が後半は2軍を出すというのも当時の力関係を物語っている。
この昭和41年度は森さん、釜本さんでア式が天皇杯を獲得しているわけなんである。
以来、学生が天皇杯とってないんだから、もう40年以上にもなる。

緊急連絡が電報というのも当時の通信状況がよくわかるし、寝台特急の北星号やらゆうづる号に往復乗ってサッカーの試合では疲れちゃって仕事もなかなか大変だよな!
いやぁ〜〜サッカーマガジンもなかなかいいよな!

読みにくいと思うがご容赦いただきたい
以下の通り
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by gsfc_aoshima | 2010-08-04 07:51 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

友人 河合純一クン

オラには友人だが、弟のヒデ助には親友いやそれ以上、心友でもある河合純一クンが参議院選挙に出馬している。
みんなの党からなんだが静岡県での闘いに挑戦しているわけである。
突然の出馬で、ある意味出遅れの感もあるが、心眼の教師でパラリンピックのメダリストでもあるし、ラストスパートをかけていると思う。

頑張ってほしいなあと思っているわけで、静岡県民がどういう判断をするかだ。
かつて河合クンとは2008年1月のインカレ決勝早稲田ア式vs法政の試合を一緒に観戦し早稲田の応援をしたことがある。
その時の記事をご紹介したい。
心眼でサッカーを見るということで「僕には見えますよ!」と言っていた。

静岡県の全線各駅での立ち説法は踏破したとのこと!

河合クンの生き様は映画にもなっている。
新しい挑戦かもしれないが、その挑戦にエールを送りたい
「フレーフレー早稲田!フレーフレー河合!!!!!」
by gsfc_aoshima | 2010-07-09 06:26 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

25年来の友人と飲む

昨夜はオラが若かりし頃の会社の同僚だった親友と藤沢で飲んだ。
猪俣ちゃんという。
若い頃は湘南のミュージシャンでもあった。
いわゆる湘南ボーイだ。

今は、藤沢で名の知れた不動産会社の社長さんだ。
会社のトップにまで登り詰めてはいるが、昔とおんなじ立ち位置というか、スタンスは変わっていないのがオドロキでもある。
考え方がハッキし云って謙虚だし。
おれがおれががない。
社長と言うパワーはもちろん必要だが強さだけでは大きくなれない時代だとも思う。
仕事オンリーではなく、人としてどんな生き方をしているのかが評価される時代だと思うから。

そんな猪俣ちゃんがこんな雑誌に出ていたのでご紹介しよう。
そして今日はベルマーレのJ1昇格記念試合があるので見に行くんだと云う。
ベルマーレの知っている名前が彼の口からぞろぞろ出てきた。
世の中はヤッパし狭い。
回り回って必ず自分のところに帰ってくる。
みんなと仲良くしないといけないということだよな!

居酒屋の若旦那は年間50試合ぐらいサッカーの試合を観にいくサキチだと言うのもわかった
また飲みに行こうと思ったわけで、昨夜もまた、いいお酒だった!

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by gsfc_aoshima | 2010-02-20 06:52 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

元気なうるさいジジイ三人で

野辺山にキムチづくりに向かうのだが
待ち合わせ場所にまだクルマがこない。
けっこう寒い朝なんだけんど!
寒くてスクワット300回したが手が冷たいずら

そろそろ来てもいいころ
来た!
行って来ます。
by gsfc_aoshima | 2009-12-17 06:53 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(2)

高久いたるのこと

オラの教え子に高久兄弟というのがいる。
オヤジはJr.ユース創設時の事務局を何年もやってくれた。
海外勤務になったので事務局を降りた。

息子2人は同じ高校、大学と進んだが性格は全然違ったし、サッカーのタイプも全く違った。
オヤジに似ないでどちらもあんまし、しゃしゃり出るタイプではなかったが兄貴はFW、弟はDFだった。
兄貴は已然横浜の自宅にいて、弟はさっさと家を出た。
今朝はその弟のお話だ。

伊豆の海に魅せられて、そしてダイビングにハマっているということは風の便りに聞いていた。
そしたら、今は結婚して子どももいて、屋久島にいるという。
調べてみたら屋久島ダイビングライフというホームページをつくっていた。
またブログも書いている。
その屋久島ダイビング日記は直助の方でリンクしておいた。

毎日屋久島の海で潜っているらしい。
魚の写真もほんときれいで驚いた。
さかながきれいなのも海がきれいなのもなんとなくわかる。
わからないというか、ふしぎなのはあの至にカメラを使えるかということだし、
カワイイ奥さんまでもつかまえて屋久島に連れて行っての屋久島三昧。
ちょっとぉちょっとだよな。
こどもまでいるのは、これは不思議ではないわな。
知らなんでいる間にやることだけはしっかりやってるということか!!

ホームページやらブログを読んでいるととってもいい気持ちになるし、行ってみたい気持ちになる。
きっと時間がユックリ進んでいるんだろうな。
こういう人生もありなんだな。
毎晩、屋久島の芋焼酎をのんで地元のおじさんやおばさんと踊りあかしているんだろう!
若い高久一家にカンパ〜〜〜〜イ!
そして、ホームページにあった「お店の想い」というのを抜粋させてもらった。
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海になれていない方には器材の使い方からじっくり丁寧にお教えします。

癒し系のんびりまったりダイビングはもちろん、じっくりフィッシュウォッチング、どっしり生態観察、

超マクロ生物や甲殻類、ウミウシ探し、ダイナミックな地形派ダイビングなどなど、

リクエストがあれば最善を尽くしてお客様の期待にお応えします。

またカメラ派ダイバーにも満足いただけるようにフォトジェニックな被写体を常に探しています。

海を基本にリクエストがあれば川でもタイドプールでも田んぼでも、

早朝でもナイトでも、水環境があってリクエストがあれば可能な限りどこへでも潜ります。

そして皆さんの屋久島ライフがより充実したものになるように、

宿泊やお食事、島内観光などのご案内もお手伝いさせて頂きたいと考えています。
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水さえあれば田んぼでも潜っちゃうって泥臭くていいよな
洗面器でもたらいでも潜っちゃうんだろうな
すご===い!!
来年は屋久島ツアーを計画したいよね!
by gsfc_aoshima | 2009-09-12 06:16 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(1)

高校時代の仲間

昨夜、高校時代のサッカー部の同期の大杉から電話がある。
オラァは電話とるなり「だれか死んだだかね!!」
大杉は「だあれも死んではいないだけど、おらたちも60になって仕事も辞める奴も出てきたし,一度みんなで会わまいか!ということに大庭と決めただけど12日の夜、磐田駅19時集合だけど、来てほしいやぁ」

大杉は高校を出て現役で立教大学経済学部に入学した。
入学式に学部新入生を代表して答辞を読んだそうな。
成績が一番だったらしい。

そして立教のサッカー部に入部した。
3年生の時は大学サッカー界では無敵で天皇杯も準優勝し,この試合は出れなかったがベンチにはいた。
4年生の時はレギュラーで頑張っていた。
卒業の頃は教授のご自宅に挨拶に廻るので大忙しだったとのこと
バナナ持参でよ!!
バナナで教授を泣き落とし卒業させてもらった強者だ。

昔はバナナの房はセレブの代名詞みたいなもんだった。
オラなんか小さい時はオヤジと東京見物に来て,先ず最初に乗るのは、はとバスで東京見物。
そして神田あたりのちいさな旅館で1泊し,次の日は上野アメ横に行き,バナナの叩き売りのおじさんのとこに行ってバナナを買うのが楽しみだった。
みんな群がって買うので,どのタイミングで「買ったぁ!」というのが難しい。
値段が下がっていくもんんだでよ!
バナナを上野で買ってわざわざ磐田まで持っていく。
アメ横のバナナはそんじょそこらのバナナと違う。
房からオーラが出ているし、姿形が見目麗しいのだ。

そのぐらいバナナは庶民のあこがれだったし、大杉もいい手を使ったと感心したもんである。
なかなかいんにぃ!
バナナで大学卒業した奴って。

オラみたいに,卒業マジかになって、保健体育の試験を受け忘れ、事務局でおもわず「その試験の日はじいさんが火事で焼け死んで急遽田舎に帰って試験受けれませんでした」とかなんとか自然に口から出てきて、事務局員の涙を誘い、「そりゃあたいへんだったよな!なんとか事情を先生に話してレポートでもいけるかどうか聞いて上げるよ」
そして無事、レポートで卒業出来たけど!

そのころじいさんは本当に火事で焼け死んだのは事実だ。
その日ではなかったのも事実だけど!
じいさん殺して卒業した奴もなかなかいんけどバナナもいん!!!

どっちにしてもオラも大杉もきわめてサッカーにうつつを抜かし,ほとんど大学では勉強はしなかった。
ていうか、当時は学園紛争真っ盛りの頃で、早稲田でもオラ達はほとんど4年間試験がなかったし、試験の頃になると学校がロックアウトだったし、卒業式もなかったし、まあ学校も学生も歴史上もっともいい加減な時期と言うか、やる気もなかった頃だったろうし、どうでもよかったんじゃあないかな。
今なら絶対卒業出来なかったと思う。

そのじいさん火事で焼け死んだ話は以前このブログで書いたかどうか定かではないが後日詳しく書いてみたい。

話を元に戻すと、大杉とは、ほんと若い頃から磐田駅で待ち合わせしていた。
ナンパに行くといっては駅で、ピンサロに行くといっては駅で、フィリピンパブに行くといっては駅で。
もうこの3つしかないのである。
大杉君、どこにいくのよぉ〜〜〜!!
居酒屋にまじめに行くとは思われない。

12日は終日、保土ヶ谷区の小学校対抗フットサル大会がある。
13日は9時からキッズの練習、昼は3女の結婚相手のご両親とお食事会なんぞもあったりして、そりゃあもう大忙し。
もし行くとなると、16時に保土ヶ谷を出て220キロクルマで走って、その日は実家に泊まって
日曜の朝、5時に出発せんといかんのである。
日程的にどう考えても無理がある。

だから大杉に言ってやった。

『行く!』
by gsfc_aoshima | 2009-09-04 07:45 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)