カテゴリ:昔の仲間シリーズ( 59 )

予備校時代

昭和43年3月に田舎の高校を卒業したが,大学受験にもちろん失敗して浪人生活に入った。
先週の通り,東京は野方でのアパート生活、7月からは大塚の2食つきの下宿屋。
でもここの生活も1ヶ月しか持たなかった。
飯の心配はなかったが、風は通らないので死ぬほど暑い。
電気器具使えないのでコタツは使えないだろうし、布団かぶっての勉強になるし、冬は過ごせないと思い,ここも1ヶ月で退去した。何せ荷物がないので引っ越しは楽なんである。
まあ,1ヶ月居候したようなもんである。敷金、礼金といった類いもなかったし。もちろん紹介なんで不動産屋さんを通したわけでもない。

次は阿佐ヶ谷南の4畳半に移った。ここは大相撲の花籠部屋のすぐ近くのアパートで、まあ狭いながらもまあまあだった。若三杉がいた。暇があれば稽古を観に行った。

でもここも8月から11月までしかいなかった。
田舎に帰ったのだ。
布団引きっぱなしのごみため部屋になっていた。
キノコが生えそうな部屋になっていた。
予備校の勉強も今さらという気もしたし、成績も良かったので、大学ぐらい簡単に受かりそうな気がしていた。

すべてがちゃらんぽらんな浪人時代だった。
予備校は大隈講堂となりの早稲田ゼミナールというところだった。
ここを選んだ理由は他の予備校は選抜試験があったし、無試験。
これ以上予備校でも落ちたくなかった。
早稲田のすぐそばというのも良かった。

毎日、学生服で通った。
高校時代の学生服しかなかったので、これを着用。
詰め襟には「予備校のWの徽章」をつけて早稲田の学生っぽくしていた。
ほんとアホだよな!
靴は一張羅の革靴か下駄。

予備校は昼までだったので,昼食は大隈講堂横の学生食堂でランチを食べていた。
もちろん夜は野方食堂。
早稲田の学生っぽくだ!まあ偽学生だな!
当時,バンカラ学生やら,苦学生というのがいたと思う。

食堂で出会った大学生にはびっくらこいた!
大学4年生ぐらいだろうか。
あたまボサボサ、よれよれの学生服、下駄、牛乳瓶の底のような分厚い丸めがね。
腰には手ぬぐい。
松本零士の漫画の世界のような大学生がいた。
右手にライス、左手にもライスを盛った皿を持ってオラの前に座った。

ライス2皿、おかずは?
おかずをとりに行く様子もなく、合掌。
合掌が終わると,右のライスには醤油をかけた。
そう!左のライスにはまさか〜〜!!
ソースをなみなみかけた。
ぐいぐい食べていた。
ライス一皿30円だったと記憶している。

オラはただただ見るだけだった。
早稲田の学生恐るべきだと思った。
オラなんか修行が足らないと思った。
おもわず合掌しそうだったと記憶している。
本物の早稲田の徽章が欲しいと心底思った。
親に引っ越しばかりして申しわけないと思った。
荷物を直ぐたたんで、後先考えず田舎に帰った。

やっぱしオラは軟弱だった。
田舎に帰ってその後サッカーばかり半年していたのである。

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高校を卒業してのゴールデンウイークに高校時代のサッカー部の先輩と同級生と新宿駅西口で集合した時の写真。
オラは学生服。下駄二人は同級生で、瀬下と大杉。大杉はこのブログでヒィリピンパブ大好きなエロ司法書士として度々登場している。

左から,オラ、山崎(法政大1年)、大杉(立教大1年サッカー部)、瀬下(予備校生)、藤原2年先輩(サングラスでこわもてだが妙にやさしい)、木瀬1年先輩(歯科医の卵、見た目おっさんだがまだ19歳)、宮崎1年先輩(防衛大生)、三輪2年先輩(社会人)
by gsfc_aoshima | 2013-09-24 09:04 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

野方から大塚へ

結局、浪人生活の野方には3ヶ月しか居住していなかった。
あまりに環状7号の車の音がうるさくて,ノイローゼになりそうだったし、親父が1度泊まりにきて、一睡もできなかったこともあり,出た方がいいといわれる。
家賃は4畳半(ガスコンロ、水道蛇口付きの小さな洗面)風呂なし、共同便所で7000円だったと記憶している。
トイレは2階から1階までストんと落ちる汲取だった。

6月いっぱいで高校時代の親友、青山賢三くんが住んでいた大塚の下宿屋が空いているというので引っ越した。どうやって引っ越したのかよく覚えていない。布団と机しかなかったし。

こちらは大塚と池袋の真ん中当たりでどちらからも歩いて行けた。
3帖2食付きご飯食い放題、共同便所(水洗)、風呂なしで9000円だった。
賢三の部屋は11000円。
オラの部屋はなんでこんなに破格的に安いかというと、太陽がまったく射さないモグラ部屋だったから。
窓は一応ついているがその先は暗い廊下。
となり部屋とのしきりはベニヤ1枚。部屋の高さは1820㎝。
部屋の天井はない!
建物全体の天井はあるが、後から空きスペースにベニヤで部屋を間仕切っただけなので、空中に電球が垂れ下がっている。
お隣さんのいびきも聞こえちゃう。
コンセントは1個だけだが蛍光スタンドしか使えない。容量がないのでヒューズが飛んじゃうのだ。
電気を使わせないように各部屋毎にヒューズがついていたのである。

もちろん風はまったく入って来ない。
夏でも無風。

飯の心配がないというだけの部屋だった。
家賃さえ払えば、あと、金がなくてもなんとかやっていけるというところだった。
あと、トイレが水洗だったのは二重丸。
4、50人が下宿していたと思うし、サラリーマンもいたような気がする。
笑い話に出てきそうな下宿屋だった。
2帖の部屋って想像つきますか?
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記憶を頼りに書いてみた。真ん中の5部屋のうちの一つだったと思う。5部屋かどうかも定かでないがよ。

田舎もんには全てが驚きだったと記憶している。
東京で喫茶店のマッチ箱を集めては喜んでいた。
磐田には喫茶店が1軒しかなかったので高校時代1度だけしか入ったことがない。
補導されるし!
ぼられるのではないかと,ビクビクドキドキだった。
喫茶店だに!

田舎もんには喫茶店でさえ、あこがれだった。
by gsfc_aoshima | 2013-09-21 08:31 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

野方食堂

1968年に高校を卒業して上京し浪人生活を最初にしたのが、西武線の野方。
大手製薬会社の大豪邸の近くで、環状7号線のすぐ脇の、ぼろアパートに住んでいた。
車の騒音で夜も上手く眠れず,振動も激しく3ヶ月で退去した。

昨日,ちょっと用があって45年ぶりに野方駅に降りた。
なんか急に懐かしくなった
当時よく通っていた定食屋がまだあった。
うれしくなった。
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アジフライ定食が90円だったと思うが毎晩食べていた。
お店の店員さんがかわいかったし!

住んでいたところはもちろん別の建物に変わっていたが、場所の特定は出来た。
当時予備校も下駄で通っていた。
こんな格好が当たり前で、普通だったのが,今見ると笑える。
ランニングシャツに腹巻きをして、腹巻きを出しているのが、あたりまえだった
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アパートの前での1ショット。18歳の青春,女の子に声も掛けられない田舎もんだった。
おかしな東京弁で話していた。
by gsfc_aoshima | 2013-09-20 08:24 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

先輩からの電話

8月12日から3泊4日の八ヶ岳サッカー合宿。
18日から2泊3日のまたまた八ヶ岳サッカー合宿で慌ただしい日々。
今日は最終日。
本ブログも慌ただしくと更新をせずじまいだった。
そしたら昨日、高校時代の先輩から電話があった。かみさんでも死んだのか!と思って電話に出たら、
「おお!生きていたか!」だった。

ブログの更新がないので心配になったとのこと。
オンナと駆け落ちしているんだと言っておいた。

ていうことで、本日から更新いたしますよってご安心ください。

昨夜は夜中に帯同コーチが子どもたちにマジックでなにやら書いていたが、オラも書かれていた。
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それにしても昨日、試合してくれたヴァンホーレ八ヶ岳さんは素晴らしく個性のあるチームで過去に対戦したことがないサッカーだった。
とにかくドリブル一辺倒なんだが、それも団子でかまわずガンガンくる。集散の早さは半端なく、ひたすら抜いてくる。ボールをもらったGKが何人も抜いてくるんだから!

それにチーム力で対応できたうちのチームも実によかった。
何せ、ダイレクトで5本正確につないでゴール前まで持っていける。
いい合宿が出来ている。

それにしても朝から元気でうるさいこと、このうえない
by gsfc_aoshima | 2013-08-20 06:22 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

平塚太一のホームページ

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平塚太一のホームページ
オラが作ったホームページ10番目が実質2日で完成した。
提供してくれた素材の多さで、それをまとめるだけの作業だったので、イージーといえばイージー。

とりあえず、最初の1歩にしてはスムーズに出来たと思う。
これをどう肉付けしていくかだが、写真はいっぱいあるだろうし、面白いお話は山ほどなんで、是非いいものにして行きたい。

それから,今回,大いに力を発揮してくれたのがPDFをjpgに変換出来るアプリ
もうこれは、感動ものだ。
50枚の書類も10秒であっという間に写真に変換。スゴワザというか,もう涙が出てくるほどの感動!
是非利用されたらいいと思う。
これはMac用だが,windows用はもちろんあると思う。



とにかく面白いお話が、今回の中に,少ししか表現されていないし、人間平塚太一を是非是非,皆々様にご紹介したいのであります。

お料理のお話や,男の大工道具、料理道具、家具調度品、おかしな友達−オラもこの中に入るのかもな、その他諸々。
日々の活動はfacebookで、ホームページの新ネタは月1ぐらいで更新しようと思います。

とにかく、笑うにぃ!

昨日は,二人して,かき氷器の調整をした。
やっぱり,平塚サンの道具に対するこどわりは半端なく,1時間ほどで、氷がスムーズに削れるようになった。

先週,かき氷の試食会は,氷が削れなくてはちゃめちゃになって,我が家にきた多くのかき氷ファンを失望のどん底に陥れてしまったが、太一サンのおかげで、かき氷器が復活。
15日のチームジュニアのGS祭りにかき氷を出せるかも!
by gsfc_aoshima | 2013-07-13 06:51 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

森さんの1周忌

昨年の7月17日に亡くなった元日本代表監督で、最後の所属が横浜GSFC顧問の森孝慈さんの1周忌が昨日行われた。
川崎の栗平の常念寺で法要で、ご住職から、1周忌法要でこれだけの人数がお集まりいただいたのは記憶にないとのことであった。
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70名ほどの参加者で狭い講堂は座る場所すらなかったほどだった。
もちろん大仁日本サッカー協会会長も元会長岡野俊一郎さんはじめ、サッカー関係者がキラ星の如くだ。

そして、場所を代えてのお斎でも挨拶だけでも、岡野さん、釜本先輩、野村先輩、三菱の横山さん、後輩の加藤久、原博美、元ヴェルディの都並さん、城南信用金庫の元頭取鈴木さんらが、森さんのエピソードを語ってくれた。
みんな長い話で終始した。
思い出が尽きないのだ。
鈴木さんの話はぐっと来た。

岡野さんの話の中で、日本のサッカー界には偉大な指導者が3人いた。
長沼健さん、平木隆三さん、森孝慈だと。
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異口同音に、森さんがいまだに、すぐそばにいると感じているようでもあった。
ご健在であったなら、日本サッカーにどれほどの貢献が出来ているか、計り知れないものがあったと思う。
全員に森さん追悼のご本も配られた。
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森さんが代表監督であった時のメンバーが、夏の森杯に顔を出してくれそうで、これもまた嬉しい話でもある。
安らかに眠っているヒマないぐらい森さんは僕らのすぐそばにいる!!
by gsfc_aoshima | 2012-07-09 08:30 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

春らしいおてんきの元で

太一くんの結婚式は昼前から、みなとみらいの玄関口で行われた。
今一番ヨコハマらしい場所で。
この会場に来るのは、これで3回め。
毎年、来ているような感覚である。

ジュニア時代の同期も大勢駆けつけた。
オラもしこたま飲んだ。
ジュニアの教え子と飲むのもなかなか悪くない。
酔った酔った酔っぱらった!!

太一 おめでとう
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by gsfc_aoshima | 2012-04-08 06:40 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

本日結婚式

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チーム結成から、25年が過ぎたわけなんだが、創世記のジュニアも30を越している。
結婚しているのも多いわけなんだが、そのジュニアのなかでも、鮭が川に戻るように帰ってきてくれて、今の子供たちをコーチしてくれているのもいる。

そんな中の1人でもある太一が本日結婚式を挙げる。
小学1年生からサッカーを教え、その年代が中学に入る時にJr.ユースを立ち上げた。
思い出の多い学年だった。
メンバーも粒ぞろいが多かっただけに、チームの歴史の先駆者でもあった。

昨夜は、昔を思い出すのに小6当時のビデオを引っぱりだして鑑賞してみた。
お父さんたちも、オラも若かった。
今は亡き渡辺さんも映っていた。
懐かしい!

深夜、結婚式用にお祝いDVDを作成した。
これはオラの得意とするところなので、あっという間に作り終えた。
出来はまあまあだと思う。

式は10時からなんで今のうちに本人に届けようと思う。
お色直しの時にでも、上映してくれたらいいな。
バックミュージックはモンキーマジックの「ただ、ありがとう」を用意した。
この曲、何度聞いてもいい。
盛り上げることができればいいな!
by gsfc_aoshima | 2012-04-07 06:31 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

昭和47年11月12日西が丘サッカー場での関東大学リーグ最終節の最終試合は、くしくも優勝をかけた早稲田vs中央の試合だった。
前年も1位の早稲田、2位の中央ということでの組み合わせである。
早稲田は引き分けでも優勝だったが案の定引き分けてしまった。
とにかく混戦、3勝3分け1敗で優勝である。

当時は勝利の勝ち点が2だったので引き分けが非常に多かった。
中央は2勝5分けで2位である。
現在の勝ち点3で計算しても、早稲田はこのとき優勝にはなるがラッキーだったというしかない。
初戦明治引き分け、第2戦の日体大戦も負けだし。
27名の狂った戦士達と、今から考えるともっと狂っていたかもしれない監督、コーチの皆さん。
サッカーの神様が取り憑いてくれたに違いないと思うしかないのである。

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ベレー帽が堀江忠男監督、おとなりが小松部長。いまはもうお二人ともいない。

2列目左側サングラスが吉田コーチ、そのとなりが鬼助といわれていたオラだが、練習が終わると、夜な夜な新宿六本木にくりだしてチャラ男に変身していた時期もあった。
3列目右端が小田島コーチ。

この首脳陣がいなかったら、きっとオラなんかただのひねくれ男で終わっていた。
ほんとお世話になった。
感謝である。
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優勝カップを高々と掲げることができたのも、みなさんのおかげだ。
もちろん、サッカーをやることに理解があった両親にも感謝である。
by gsfc_aoshima | 2012-01-12 08:33 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(2)

本日、野辺山へ

昨日は大勢の方から「お誕生日、おめでとう!」の嵐を受けた。
ハッキし云って気持ちいいだいね!
素直に喜んでいる。

今日は小学2年生の孫の誕生日なので昨日、クマのぬいぐるみを買って渡してある。
その下に3歳もいるので、お姉ちゃんだけ渡すとひがむので、しかたないから小さいサイズも買って渡した。
全く余分だが仕方ない。

まあ、こういうのを小さな幸せというんだろうな!
そんなことは考えたこともなかったが、そういえないこともない。

てなわけで、お誕生日ネタもそのぐらいにして、今日もこれから野辺山に行く。
高校のサッカーの恩師のご家族ご一同様が野辺山の五光牧場に来られるというので、オラも行くことにした。

それはもう行かないわけにはいかないでしょ。
生涯、サッカーにずっぽしはまってしまったのは、この先生と出会ったことがきっかけだし。

それ以外にも、五光牧場の吉澤オーナーとはいろんな打ち合わせもあるので行ってきます。
今日も横浜は暑くなりそうだが、野辺山は10度は低いし、五光の空気を吸うと元気になる。
先週いろんなことがあったし、カラダがまだ重い。
とっても楽しみである。
by gsfc_aoshima | 2011-07-26 06:46 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)