カテゴリ:昔の仲間シリーズ( 59 )

オブラート

一番好きなTV番組は「和風総本家」。
昨日は世界で見つけたMade in Japan。
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世界一のレストラン スペインのビルバオの「アスルメンディ」というレストランのオーナーシェフが日本の品物を食材として使っているというお話。
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それも静岡市内で作っていて、色から言ってでんぷんらしきものだった。建物も古い。
なんだかちょっとばっかしこの会社の記憶がある。

やっぱしそうだった。
小中高と同級生で、浪人時代も東京で一緒の下宿で生活を共にしていたAO山KENZOが、2浪の後、それからずっと勤めているオブラートの会社だった。オブラートは薬を飲むとき使用しているのが日本人。
食材として使用するのは驚きだ。
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AO山くんは静岡ではなく大阪支店で今でもバリバリなんだがオブラートではなくプラの加工品を扱っている。

職人さんもオーナーシェフもどちらも製造工程と料理工程を見ていて感激していたが、見ているオラもちょっぴり感動!!
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いい番組だと思う。
来週はタイから放送局のスタッフが来日する「日本という名の惑星ータイ編」
これも見逃せない!


by gsfc_aoshima | 2017-06-23 10:16 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

高校の同窓会

3/4(土)高校の同窓会があって、磐田まで行く。
卒業してから50年ということで、同期全部での集まりだ。
10年ぶりの同窓会なので行かないわけにはいかないが、なにせこの日は社会人選手権の代表戦1回戦が夜に行われるので、
行ってすぐ帰ってこないと間に合わない。
でも躊躇なく行く!!

団塊の世代なので同期全員で374名。
7クラスで1クラス50名以上で、そりゃあもう、ぎゅうぎゅう詰めだった。
すでに亡くなったのが38名。
亡くなりすぎだ!
けっこうつらい!

出席者90名。
一概とは言えないが、出席者の多くがまだ世の中と関わりを持っている人で、欠席者ほど悠々自適なんじゃないかと思った。
忙しい人ほど、こういった催し物に参加する。
世の中と関わりがないと刺激もないし、すべてにどうでもよくなってしまいがち。
ドキドキすることがあればあるほど、元気でいられるんだと思う。
頭テカテカなのが多いのだが、クラスの垣根を越えて昔を懐かしむ。
素直にいいことだと思う。

そういえばこの数字を見るといろんなことを思い出す。
15歳の春、高校に入ってすぐの4月、進路面談。
入ったばかりだに!
担任からの衝撃的な言葉が待っていた。
「直助くん、君は高校入試の点数が312点。本校の定員は本来は320点が合格ラインなんだが、本年は生徒数も格段に多く8%の水増し合格になった。
足切り点は310点。どういうことだかわかるね!厳しい高校時代と思うが少しでもみんなについていけるよう勉強頑張りなさい」
ぎへ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!
「...........................................ははぃ」
「ところでどこの大学を希望しているんだね?」
もはや恥ずかしくて大学名なんぞも言えるわけもなし、
「何も考えてません」
ほんとは不合格で、合格でも補欠というか、水増しでもビリから1番2番じゃん!!
他の高校は受けていないのでへたすると中学浪人だったかも。

とはいえこれが不運ではなく幸運の始まりだったと勝手に思って逆に元気になった。
これ以上落ちようがないから高校生活を満喫するぞと!


続く!
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写真はサッカー部同期の山崎。2回も一緒にW杯に行ったサッカー小僧いやサッカージジい
みんなハゲて一る。













by gsfc_aoshima | 2017-03-10 16:01 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

武男君がギラヴァンツ北九州の監督に

vファーレン長崎のレジェンドでもあり、現コーチの原田武男君がJ3のギラヴァンツ北九州の監督に就任したとの記事が今日出ていた。

長崎の監督にいつかはなるのは既定路線だと思っていたが、とりあえずギラヴァンツの監督になった。
そんな事前情報はちょっぴり入っていたが、正式に発表された。

ギラヴァンツは今シーズンJ3に降格したのではあるが、来シーズンは新スタジアムのお披露目がある。
大変な時に監督ということでプレッシャーもあるかもしれないが、彼なら間違いなくやれると確信している。
大いに期待しています。

2014年1月にマリノスの波戸選手の引退試合の前の日に、武男君とフリューゲルスのファンで、馴染みの李園で食事した。
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左から西山さん(GSFCーフリューゲルス大好き)、おら、武男君、外池君(マリノス側で試合に出る)、中藤さん(フリューゲルス命ー現在イギリスのヨークに留学中)、李園のマスター。
李園には武男君がフリューゲルスの時よく通った。
横浜で試合もあるし、再会が近いのも楽しみである。
by gsfc_aoshima | 2016-12-12 22:01 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

学生時代の写真その3

ここまできたら、恥も外聞もないし、全国展開だ!
1972年、4年生集合写真。
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あまりの個性派集団なのでGKの淀川(のちにジェフの社長)とマネージャーの高島を除いて、終身雇用の時代なのに、6名は入った会社はもちろん中途退社している。

いい成績を上げたので結果的にはチームワークは良かったと言えるのだが、みんな結構勝手だった
目指すところだけは一緒なんだが、意見まとまらないし、監督が偉かったんだと思う。
監督の発想もおかしくて笑っちゃうような練習してたが、なにせ監督がベルリンオリンピックの選手で、スウェーデンに勝利したメンバーだし、早稲田の教授だったのでみんな監督には逆らわなかった。
ちょうど、今のオラの年齢ぐらいだった。

選手も少ないし、4年はわずか8名、3年生に至っては4名だ。
当然、1、2年生でなんとかしのいでいたということなんだと思う。
花形プレーヤーは下級生だし、4年生はカラダ張るしかないのである。
ひたすら走るしかないのである。
ゴールポストを敵とみなして毎日ヘッドの競り合いをしていたのもいた。

つい昨日の練習のように鮮明に思い出す。

写真がやばい!
デジタル化しないとやばいくらい劣化してきた。
アルバムが古すぎて、ノリがついているのかに、写真がひっついたままもう取れない。
破れちゃう!
by gsfc_aoshima | 2016-01-07 09:36 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

懐かしい顔

年末も押し迫った12月25日の日曜日、Jr.ユースを立ち上げた時の、かつてのメンバーのご父兄、コーチが集合してくれて、クラブハウスで忘年会を挙行した。

セッティングはオラがして、すべて整えた。
Jr.ユース発足の頃はオラの仕事が激変して、皆々様には大変ご迷惑をかけたのだが、8名の皆々様がお集まりくださった。

ほとんどオラと同年代で、ヒマこいてる人が多いので、これからもこの会は続けていこうということで、なごやかにばか騒ぎ。
この人たちがいなければ、Jr.ユースは出来なかったし、頭が上がらない人ばかり。
そして口は悪いがいいひとばかり。
ありがたいことである。酒がうまかった。
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by gsfc_aoshima | 2015-01-02 08:21 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

しょうさいふぐ1匹

40年来の友人でもあり、バブル時代に5年間お勤めした会社の社長さんでもあった、大恩人の内藤さんと海釣りに出かけた。なにせ25年ぶりなんである。
釣りの道具は実はなんでもある。釣りキチだったのだ。
25年前に使っていた竿やらリール。そして25年前の仕掛けを一応もっていったが全部、内藤さんが用意してくれる。
いかにサッカー一筋だったということだな!

自宅から葉山のボート屋さんまで35分だった。
内藤さんが葉山の長者ヶ崎に住んでいるので、ボート釣りを誘われたのだ。
大森ボートさんが引き舟でポイントに連れて行ってくれる。
ホームページを見ていたら、けっこう真鯛が釣れていたので、うれしくなった。

7時出船で長者ケ崎から沖合2キロほどのポイント。
内藤さんはカワハギ、オラは真鯛と青物狙い。

水深は27m。
二人ともさい先よく、内藤さん、カワハギ、おらはしょうさいふぐを釣り上げた。

ところがその後、潮が全く動かず、コマセが流れなく下に落ちてしまう。
あさりをえさの内藤さんはその後カワハギを3匹。
オラはオキアミの餌もとられない。

ていうことで12時で早上がりにした。
ボートからは富士山がもやに霞むも見える。
ニッポンていいなぁ!
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また雪辱戦をしないといけなくなった。
家に帰ってきてから、なんだか胸焼けがひどくて夜まで寝込んでしまった。ジャンジャン!!
by gsfc_aoshima | 2014-10-30 06:51 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

来クラブハウス

秋田は横手FCの福田誠さん(ア式後輩4年の時の1年)がクラブハウスに来てくれた。
なんでもブラウブリッツ秋田のユースの試合を観に、マリノスタウンに来たとのこと。

おなじみ李園の蒸し鶏を食べたあと、クラブハウスにご案内。
旧交を深めた。
ジュニアユースの教え子が、モンティディオ山形の入団が決まったとのこと。
うらやましいかぎりである。
その子は1度もトレセンにも入っていなかったらしい。

なんだ勇気が出て来る話である。
サッカー協会の指針通りやったって、世界に通じる大会で負け続ける。
上手いだけでは、世界で勝てないことだけははっきりしている。
じゃあどうするかだな。

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by gsfc_aoshima | 2014-10-26 06:16 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

森さんの命日

2011年7月17日異様に暑かった。
この日、オラは日の出村の亜細亜大学のグランドにいた。
チームの練習試合だった。
初めて訪れた。遠かったし、暑かった。以来一度も行っていない。

試合が始まる寸前に携帯が鳴った。
元日本代表監督、ア式先輩、現チーム顧問、敬愛する森孝慈さんがなくなったという連絡が入った。
その時から、初七日が終わるまでの慌ただしかったこと。

もう3年も過ぎた。
あっという間のような感じがする。
日本のサッカーはどうなんだろう。
停滞しているよな。
森さんが生きていればなと思う。
大護送船団のような日本のサッカー界。

監督クビになって、もうあの人はないだろうと思っていてもすぐどこかのチームが拾う。
もっと世の中的にはスゴい人もいるはずなんだがと思う。

日本代表もご存知の通りだったし、今度なりそうだというメキシコ人の監督も、なんだが品がないというか徳がないような感じがする。
森さんから発せられるオーラは尋常ではなかった。
ザッケローニ監督をヨコハマのホテルで見た時、「ただのおっさん。どこにでもいるイタリア人!」
帝国ホテルのロビーで森さんと待ち合わせた時のオーラは半端なかった。

こういうひとが代表の監督にふさわしいと思う。

森さんが今、生きていればどう思うだろうか、聞いてみたい。

早稲田ア式のホームページに依頼されて寄稿した森さんの思い出がまだ削除されていなかったので見ていない方にご紹介

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この写真はオラが高校生の頃のサッカーマガジンを、ア式に貸してあげたらのせてくれたもの。
by gsfc_aoshima | 2014-07-19 07:45 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

喜多方の易学士

昨夜は分倍河原の松永章監督のお宅で痛飲。
喜多方の塚原さんは家業の魚屋をずっとやってるとおもったら、易学士になっていた。
オラのために持ち塩を入れる竹の入れ物を作ってきてくれた。
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塩が入っていた。
ありがたいことである。

「持ち塩風水」だということ。
苦手な人と出会ったときなどは、ポケットに入れたケースを握るだけでいいそうだ。
不安なときなどもぎょっと握りしめるとよいとのこと。

さっそく今日のジュニアの市大会にしのばせて行こう。
塩が守ってくれる。
ありがたいな!
易学士 塚原光勝様 ありがとうございました。
確か昔は「啓一」という名前だったんだが。
by gsfc_aoshima | 2014-05-03 06:44 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)

松永章さんに会う

昨夜は横浜で早稲田ア式先輩の松永章さんに会う。
入った居酒屋は、オラが小学校から中学までサッカーを教え、元キッズのコーチでもあった岡くんの働くお店。
塚田農場ということの社員である。
この日はお休みでいなかった。

松永さんはオラの2年先輩。
藤枝東で高校三冠王、元日本代表、天才FW。

オラの高校に藤枝東が磐田農高と試合をしたときの選手のオーラは半端なかった。
とりわけ、松永選手は別格で、国宝の仏像と我が家の観音様との違いほどである。
にやっと笑った時の金歯は一生忘れない。
金歯がスゴいなと思った。きっとボールが当たったんだなと思った。
高校生なのに大人と子どもがサッカーしているぐらいの差があり、こりゃあダメだと思った。

それから3年、浪人生活を経て早稲田に合格したので、サッカー部に入ろうと思った。
3月中旬、再上京して、東伏見のサッカー部合宿所を尋ねた。
ボロボロの建物、やばくない?

「こんにちわ」
しばし応答無し。
パジャマ姿の松永さんが出てきた。
寝ていたんだと思う。
「なんだい?」
「入部したいのですが!」
「マネージャーも主将もみんな韓国遠征でいない。オレは韓国であご骨折して先に帰ってきたが、このあとはオフになっちまうしよ!」
「どうしても入部したいのでお願いします」
そんな話があったあと
「出身はどこだぁ?」
「磐田南です。松永さんがうちの高校でサッカーしたの見てました。スゴかったです」
「そうかぁ、バンナンか。」
「うちの高校では早稲田のサッカー部ひとりもいないんでどうしても入りたいのです」

「じゃあよぁ、マネージャーにはオレが云っとくから布団と着替えを田舎から送れよ」

そんなこんなでさっそく布団を送って、3月下旬に合宿所に入った。
4年生のマネージャー本堂サンから
「おまえかぁ!布団送ってきたのは!何にも聞いていないが、入部希望?」

「えぇ?松永さんから布団送れといわれましたけど」
「聞いていないな。しょうがないな。行くところもないだろうから、今晩はここに泊まっていいが、いつでも辞めていいから」

ということで、辞めることもなく居座り続けて卒業まで迎えた。
人との出会いはこういうことから始まって、もう40年以上のおつきあいになる。

そこらへんの大学生なら、ぜんぜん負けないぜと白髪の紳士がのたまっていた。
松永章なら、さもありなん。
いい酒だった。
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by gsfc_aoshima | 2013-12-11 08:47 | 昔の仲間シリーズ | Trackback | Comments(0)