池田誠剛にばったり

東戸塚の駅前で朝早く池田誠剛
にばったり会う。こちとら仕事で静岡に行く用意があったのだが、彼はトレーニングの準備での出勤途中である。
まあJのコーチでも一応出勤というのも変ではあるが、会社に行くというよりもグランドに行くといった方がいいだろう。

彼と一番最初に会ったのは、1994年のアメリカワールドカップ、サンフランシスコのスタンフォード大学スタジアムで行なわれたブラジルVSロシア戦の時だった。サンノゼの友人宅に偶然居候を決め込んでいた誠剛と試合前に会った。当時彼は、ジェフのコーチをしていたのだが、チームの了承なく勝手にアメリカに渡り、ブラジルチームと直談判して、帯同の許可をもらって行動していた。知り合いのツテで日本人宅に居候して、ブラジルチームについて回っていたのである。
この強引ともいえる2ヶ月間のブラジルチームとの接触で彼の将来が決まったといっていいだろう。
当時、日本人でフィジカルコーチ専門の人間はいなかったと思う。ほとんどブラジル人コーチがその職を任されていた。そういった意味では彼が第1号とも云える。

以来の付き合いにあるのでけっこうなものがあるし大学のクラブの後輩でもある。浦和では有名な池田3兄弟の次男坊で3人とも早稲田で頑張った。長男は横浜フリューゲルス,3男の伸康は浦和レッズだった。

 彼からは指導者講習会で直接、講義を受けた事があるが、こちらを見つけた時、「マジっすか。やりにくいなあ」といわれたことを覚えている。
でも、話は説得力があるし、かつ理論的でもあるので、これからも日本のサッカー界では欠かせない一人になっていくだろう。

 ただ、きょうび、マリノス故障者ごろごろなので頭が痛いにちがいない。「グランド来てくださいよ」とお世辞もいただいたが、もちろんずうずうしく行かせてもらいます。10年前の誠剛のように
by gsfc_aoshima | 2004-11-10 07:00 | 日本のサッカー