昭和44年秋の夜

大学1年生の時のメンバーは4年生にはユース代表経験者が5人もおり、なおかつ、彼らが1年生の時の昭和41年度は森、釜本を擁し、天皇杯も獲得している。
もちろん、田辺さんなんぞはフル代表だしよ。
天皇杯は、以来、学生が元旦に国立に来た事はない。
その時、1年生ながら頑張った選手達が最上級生になり、おらが1年生のときの成績はそりゃあ見事なもんだっただに!。

今の天皇陛下、つまり、その当時は皇太子様、美智子様だったんだが、春には早慶戦定期戦にも来られるぐらい、前評判は高かった。
観客だって2万5千人も集まってんだから!
がぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜1969年10月5日から始まった関東リーグは、この前から話している通り、夏合宿がめちゃめちゃひどくて、1度も勝てず0勝4分3敗の8チーム中6位に終ってしまった。
5位までが大学選手権に出場出来るし、7位8位は2部との入れ替え戦もある。
6位はカンチャンずっぽしで、11月16日には早々とオフになっちまった。
ある意味、1度も勝てなかったのはクラブ創立以来、後にも先にもないだろう。

お前はその時ナニしていたかって?

オラは、その夏合宿(2次合宿の那須)の余興の枕押し大会とやらで、優勝し、結果、首の骨がずれてしまい、9月、10月の2ヶ月間入院していた。
5キロのおもりで2ヶ月、夜も昼も24時間首つってたぞ!
マジ、ひどい話ずら!
トホホなんていってられんぞ。
今だったら、裁判ざただに!
サッカーではなく、夜の余興でだぞ!
優勝したら明日のインターバルはしなくていい!なんて言ってるから、おらをはじめ1年生は頑張ったのによ。
1番頑張ったのがオラというこんだな。
その結果が2ヶ月入院、学校もぜんぜん行けず、この1年生の時取った単位は12単位、つまり3科目だけだったぞ。

11月に入って退院して、すぐ合宿所に戻ったが、首の調子は良くないし、合宿所のネズミ、ゴキブリが往来している、昼までも真っ暗な、日が射さない角部屋でヒガな1日寝ていた日々が続いていた。
布団の上をねずみが行ったり来たりだぞ。
学ランなんぞを自室で吊るしておけば、1週間でカビが生えちまう部屋だ。

そんな状況の中での11月16日の東京教育大戦に1−2で敗れて、その夜はグランドでオフ会となった。
まあ、選手は素晴らしかったが、スポーツはチームプレーだぞ!というのを教えられたシーズンだったと思う。
4年生はそんなことで、相当飲んだし、へべれけの状態だったと思う。
オラは1年生でもあったし、首の具合もよくないのでおとなしくしていたと思う。

そしたら、その夜、悲劇と云うか喜劇と云うか、合宿所の歴史に残る事件が起きたのである。
by gsfc_aoshima | 2006-10-11 07:16 | ワセダ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://aoshima.exblog.jp/tb/5846709
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< インド戦 大森コーチ >>