昭和44年夏その2

オラの高校の後輩rainydayhさんが古田さんの事で、コメントしてくれたので、そのハチャメチャな古田さんについて紹介する。
raindayhさんがいう古田はオラん2級下の古田で大学1年から日本代表だった。
かわいい顔していた。
サッカー選手というより、ジャニーズがサッカーしているようなもんだった。
毎晩、ファンの女の子が、寮にひっきりなしに電話してくる。
もちろん、今と違って、黒電話が1本しかないんで、「いませんよ!」といってマネージャーはとりつがなかったはずだ。
彼のキックは凄まじく、飛ばす力は歴代の日本代表でもNO1ではなかったか。
今のボールだったら、軽くペナからペナぐらいは行っちまうではないの!
オラ達がインカレをとったのも古田のおかげと言ってもいいような大活躍だった。
準決勝の法政戦では、ハーフライン右45度あたりから放ったボールはゴールに吸い込まれた。いまでもその軌道は覚えている。

そのあだながふるたぬきの古田ではなくオラが1年生の時の4年生で九州は明善高校出身のカメの古田先輩だ。
首がいつもちょこっと前に出ているんでカメと呼ばれていた。
サッカーもなかなかうまかったし、試合にもよく出ていた。
でもグランドマネージャーとしては冷酷無比、世の中にこんな人いるんかいというぐらいSだぁ!

朝起きて食堂に行くと、午前の練習「腹筋30分」と黒板に書いてある。
V字になって足をあげたままの状態で足をのばし腹筋するんだが、最初は腹の前で手を組んでいる。
3分もしてくると、スパイクの重さでひざが曲がってくる。
足を地面に下ろしたりは大変な事になるんで、ストッキングを持ったり、スパイクのひもをもったりするようになる。
最後は、横になったまま、足だけは下げないようにしてもだえ苦しむ事になるわけで、午前連では延々と腹筋だ。
カメはうれしそうにオラ達のもだえる姿を見ていたのを覚えている。

せっかくだから、この合宿に出てくる登場人物は4年のGMのカメ、新人監督の和尚、3年のGMのバセ、そして2年生のいぼ痔の椿、脇やん、オダっぺ(バカボン、馬鹿っぺともよばれていた)、ゼンジ、バカチカ、ミッキー、フルタテ、オカマのキムチ、久保田さん、旅人、あとだれがいたっけ?
そうそう途中でやめちゃったけんどGKに前田さんというのがいたな。
○川○一に追いかけられていると云ううわさがあったな!
そうそう、サロメで白い芋虫になったのは前田さんだったよな。
○川○一に見せてあげたかったよな!

こうなると名簿が必要になるな!
1年は、キンチャン、タメやん、ヨチ夫、ロバ、工藤、よどがわ、おだに、トンカチ、菅原、つけもんやの合田。
椿と合田の明星高校コンビは練習の途中で、カメさんから「ダボスにランニングしてこい!」と言われていた。
その椿さんはダボスに行くたんびに、いぼ痔のとこから出血だと泣いていた。
ダボス=椿のいぼ痔だったし、ダボスと云うあだなの3年生もいたぞ!

なんかあだ名だけでもお話できそうだな。
その2であだなをごひろうだな。
しかし、オラが1年生のときは名前だけ聞くとものすごいメンバーがいたと思う。
高校時代にユース代表だったのが8人もいたし、4年生の田辺さんはフル代表だったしな。
オラはこの田辺さんのマッサージ係だったし、この人はおかしなひとで、大学ではサブ、日本代表ではレギュラーだった。
どうもこの人が入ると、リズムが悪くなるという事で外されていたしよ!

どういうメンバー選びをしていたのだろうか?
監督とこのカメさんで決めていたはずだからよ。
その監督は「やっさん」といわれていた方で、現在東京都サッカー協会の会長をしているがよ。
リーグ戦は断然優勝候補、大学NO1といわれていたが、この夏合宿がメチャメチャだったんでパラリンと落伍者で3割減になっちまっい、リーグ戦ではメンバー毎回くるくる替わり、1度も勝てなかった。

お前はその時、なにしていた?

オラはそのリーグ戦の最中は、浜松の日赤で2ヶ月も入院していたわけでこれは、涙なくして語れないトホホだった。

つづく
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Commented at 2006-09-24 19:15
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by gsfc_aoshima | 2006-09-23 07:01 | ワセダ | Trackback | Comments(1)