菅平

結局、菅平には行かなかった。
て云うより、仲間は全員行ったんだが、おいらはいろいろ忙しくて、それどころではなくなっちまったという事だ。
35年ぶりの菅平はどう変わっているのか、ほんと見たかった。
グランドは?
寮は?
ダボスは?
上田から菅平に行く道路は?

すべてが懐かしい思い出かって!
とんでも五味八珍だ。
ー五味八珍って静岡県にあるラーメン屋のチェーン店で、安くてまあまあうまくて量が多いー
おいらは驚いた時に使うがー

とにかく、悲惨な思い出ばかりで、卒業以来行っていないのである。

大学1年の夏合宿は最大の悲劇だった!
もはや、語るも涙、語る事もはばかれるメチャクチャな夏だっただに!

1次合宿を5日間、菅平で、新人だけで行なうー新人とは1、2年生の事だ。
たった5日が死ぬほど長かった。
5日空いて、2次合宿を那須で10日間
地獄の日々だった。

新人合宿は、4年生のグランドマネージャーがすさまじいばかりのメニューでオラ達はひたすら走らされ、なおかついじめの練習が多かった。
この人の名前はいえないがあえて言う!
古田さんといって、ひどかったなあ!

まったくサッカーとは関係ない「犬」という練習やら「腹筋大会」やら、「イザリ」「手押し車」「肩のせスクワット』「倒立腕立て」。
とどめはダボス山登りと、インターバルだ。
ご紹介するにも、順序の脈絡もないほど、ひどかっただいね。

「犬」は紹介しておこう。
情けないほどくだらない練習だ。
あの川淵キャプテンやら、釜本さんもやってるはずだ
情けないだに!
日本のサッカーなんてこんなもんだからよ。
みんな安心してほしいぐらいのレベルの低さだぞ。
もちろん、岡チャンだって、西野だってやってるのは間違いない!

マネージャーが1個ボールを持っている。
その周りに選手達全員が取り囲んでいる。
マネージャーが遠くに、思い切り蹴る。
オラ達は全員でそのボールを追いかける。
競争で捕りに行く。
ひとりだけが捕れる。
そして、うれしそうにマネージャーに持って行く。
ただそれだけの練習だ。
それを3回捕れると合格で休める。
捕ったと思っても、すぐ次に逆の方向に蹴ってくる。
ただの苛めだがよ!
だから、延々と、ふらふらになるまでボールを追いかけるわけで、技術向上の練習なんていうのは皆無なメニューばかりである。
「手押し車」をゴールラインからゴールラインまでやって、帰りは「イザリ」で帰ってこいとかよ!

ダボスに登るだけで、初日から足はキンキンになるし、階段は後ろ向きで這って降りる。
ベットは2段式のたこ部屋で、東京の合宿所とおんなじ作りだ。
だから、下には上級生で、1年は必ず上になる。
これがまたけっこうからだにこたえるんだな。

練習中は当時は水が飲めなかった。
練習が終ると、水道の蛇口から口を離さなかった。
腹ん中は水でガボガボになっちまうんで、その後の昼食やら、夕食が食べられない。
腹筋もキンキン状態で飯が入って行かないのもある。

あまりの疲れで悲劇も起きた。
夜中にトイレに行くのもはばかるぐらい疲れていたのか、オラは小便もらしていた。
小便だぞ!
世界地図だぞ!
だけんど、その布団でそのまま変えもせず、合宿中寝ていた。
もはや、どうでもよかったのである。

それから、オラ達は、マネージャーから、毎日こう言い続けられた。
「お前らはやめてもどうでもいい!うまいへたは関係ない!。いやなら帰れ〜〜〜〜〜〜っ!。45人もいるんだからよ。何人山降りてもどうちゅうことないぞ!」

朝起きたら、同期生がいなかった。
夜逃げだ。
みんなが寝静まった頃、起きだして、荷物もろともいなくなっていた。
上田の駅まで、歩いたら大変な距離ずら!
20キロ以上はあるだに!
そうやって辞めて行く選手達が毎年必ずひとりはいた。

オラも何回辞めようかともおもったが、しょんべんもらしてやめるのもしゃくだったんで我慢した。
それから、おらも更に悲劇が襲った。
風呂の熱湯で足を火傷してしまう。ふくらはぎの皮膚がびろびろで水ぶくれになっちまって、ものすごい状態だが、それでも練習休まなかった。
て云うより、休むために火傷をわざとしたといわれたくなかったからもある。

1次合宿最後の練習は、浜名湖を境にして、紅白戦をした。
終わった後、全員で「都の西北」を唄ったら、涙が止まらなかった。

そして、恒例の「解剖」だ!
そう、だれかひとり犠牲者がでるんだが、突然「解剖〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぅ』の声がかかると、全員ですっぽんぽんにされるのだ。
暴れる事も大事なわけで、「やめてくれ〜〜〜〜〜〜〜〜」と云わんといかんのだ。
そして、股間にはサロメチールの集中攻撃、それからそのサロメの上には石灰山盛りだ。
これは泣けるぞ。
そんな解剖が3、4人は必ず出る。
オラはこれだけはやられなかったな。
雨のときのランニング練習で、吉祥寺の井の頭公園ではよくやられて、パンツ木の上に取りに行った覚えがある。
これもほんとなさけない!

そんなこんなで、ちょっと思い出してもいろんな事が情景として出てくるわけで、現実に現場に立ったら、もっといろんなことがでてくるかもな。
1年の時は38年前ずら!
2次合宿はもっと悲惨だったのも付け加えておこう。
それはまた後日の楽しみだな!
古田先輩とはその後1度も会ってないんで是非お会いしたいんだがよ!
役目とはいえ、ひどい人だった!

オラも、その後、4年生になった時、1年から「鬼」といわれていたそうで、似たようなもんだがよ!
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by gsfc_aoshima | 2006-09-21 07:44 | ワセダ | Trackback | Comments(0)