サッカーマガジン

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これは1967年、そういまから40年ほど前に発行されたサッカーマガジンである。
サッカーマガジンが最初に発行されたのが1966年8月号が創刊号で、これは第8号だ。
年代で言うと昭和42年2月ごろの発刊だと思われる。
この時、オラは高校2年生でサッカーに命を捧げていた頃でもある。
だから、サッカーマガジンこそが世界のサッッカーに通じる雑誌だったと思って、紙に穴の空くほど読んだものである。
学校の通信簿なんぞは、いまどこにあるか、それこそ、実家のどこかにあるんだろうが、このサッカーマガジンだけは、後生大事に手元に持ってきてあった。
30年ほど前から、オラの手元にある。
ひさしぶりに書棚の奥のほうから引っ張りだしてみた。

この表紙は早稲田が正月の天皇杯で優勝したときのもので、当時1年の野田義一さんがヘッディングシュートを決めた場面である。
学生が天皇杯をとった最後のときでもある。
たしか、TVでも見た記憶があるんだがよ。
定かではない。
野田さんが4年になった時、オラが1年生でいろいろお世話になったな。
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そう、この時の主将が森さんで、2番目が名相銀に行った松永忠さん(この前亡くなられたが)
3番目が釜本さん、そして大野毅さんだ。
大野さんは早稲田クラブで中学生を現在教えているが、60歳以上のサッカー選手としては、たぶん、日本No1ではなかろうか。
今はアシックスになったが当時はオニツカといわれていたな
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釜本さんのシュートはほんとかっこがいいだいね。
タックル行こうがどうしようが、どうにも止められないし、すでにこの時、日本の不動のエースなんだから、高原、柳沢なんぞは釜本さんに比べたら、ものが違う。
いやはや、なつかしい写真ずら。
最後はこれをご紹介。
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この年の高校選手権の決勝で、当時は西宮球技場で開催されたいた。
無敵の藤枝東が秋田商業と引き分けて、両者優勝の記事である。
藤枝東はこれで3冠をとったわけだが、勝って当たり前の状況なんで、あんまり元気がないように見えるな。
なつかしい顔が見えるよな。
主将の松永章(ジャンガー)さん以下、そうそうたる面々だ。
こんなに凄いチームはあとにもさきにもこの40年間ないずらよ。
井沢、三浦、桑原、沼野、山崎、岡村、松永諭以下もはや戦国大名みたいだぞ。
松永あんにゃと、山さんは大学でいっしょにやったし、沼野さんは今、オラと一緒に仕事させていただいている。
ありがたいこんだいね!
白黒でユニホームの色がわからないのは残念だが、この藤色を見ただけで、相手は戦意喪失していたもんな。
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山さんとドリブルで競り合っているのは秋商の平沢周作さんだ。
高校でてから日立に行って、全日本までなるんだが、この人がいたおかげでサッカー選手としてのオラがあるといってもよいかもしれない。
大学3年の時、抜擢されて、日立との試合に出た時、当時日本代表でバリバリの平沢さんをワンマークして、仕事をさせなかったのがその後のオラにとっては何事にも変えがたいもんになったずら。
まあ、とにかく、藤枝東はすごすぎた。

まだまだいっぱいあるんだが、今日はこのへんで!
ほんと記事には事欠かん!
次は当時のスライディングタックルの写真でも紹介するか。
今見ると、情け無用のすごさずら!
by gsfc_aoshima | 2006-05-28 23:07 | 日本のサッカー