工藤監督その2

ベルリンオリンピックの工藤コーチが大学の監督時代、通称キングと呼ばれていた。もちろん本人の前ではいえない。
 僕が大学3年のときに亡くなられたがほんとに眼光するどく恐かった。杖付いた小柄な、じいさまでよろよろなのに。

 クラブの50年史(但し25年前に出版されたもの)に、今は鳥栖フューチャーズの監督をされている松本育夫さんが寄稿されているので、紹介する。

 4年間の学生生活は長いようで短く過ぎた。単に,川淵,宮本の両全日本選手に憧れて早稲田に入学した動機も,工藤大監督に指導される事で随分違ったサッカー生活となった。大監督工藤氏に指導される事4年、東伏見のグランドでは竹の棒で追いかけられ、ポケットいっぱいにつまった西武線の敷石を投げつけられ,練習終了後は「松本お前はふとんをまとめて合宿所から家に帰れ」とチームメートの前で怒られ、サッカーの技術,戦術については何も言ってもらえない毎日だった。

 それが為に,サッカーの何たるかを自らで求めなければならなった。現在の選手が工藤監督に指導されたら一体どうなるのだろうと思い当時のサッカー部と現役を比較する今日この頃である。(中略)私が4年の時1年に釜本(ヤンマー)森(三菱)が入ってきたが森が初日の練習で倒れ,釜本が6月にグランドで泣いたことをまざまざと思い出す。(中略)ばかになってボールを蹴ろうと思っても蹴ることが出来なくなった現在,一時的にであれ無我夢中になってサッカー中心の生活をした事が,その後の生き方に大きな方向づけをしていると判断している。

 まだいっぱい書いていらっしゃるがキングとの出会いは松本先輩にとって大変なものだったらしい。ほめられた事はないといっても大学1年で全日本に選ばれている。

 キングの長男は僕と大学の同期である。いま会うと親父にますます似てきて、恐いものがある。暗いところであったらひっくり返る。
by gsfc_aoshima | 2004-05-19 23:00 | 日本のサッカー | Trackback | Comments(0)
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