安田の3本線

昨日の投稿の件で訂正です。
イエローカード、レッドカードは今から50年ぐらい前はなかったけれど警告や退場はあったらしい。
でもそんな場面はあったのかなかったのかあまり定かではない。

高校3年のとき、浜松のどこかの高校と試合した時、3人ぐらいでGKにスライディングタックルをかましたことを思い出した。
今なら3人とも退場はまちがいない確信犯のプレー。
その時も注意だったと思うが。
大体、試合の前にどこのチームでも監督が言う言葉は「何番つぶせ」だから!
ヤスダのスパイクのSTはゴム底でTDが皮鋲だった。

昭和41年(1966年)創刊第3号8月版のサッカーマガジンの表紙裏にヤスダのスパイクが載っていた。
オラが高校1年生の時だ。つい昨日のような記憶が甦る。
表紙は新日鉄八幡の日本代表選手で当時のイケメンNO1の宮本輝起さん。
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ヤスダの3本線はみんなのあこがれだった。
この頃3本はアディダスの15000円のスパイクのみだったし、大卒の初任給よりアディダスの方が高かったんで日本代表の選手でも数少なかったと思う。
代表選手でも普通にヤスダのスパイクを履いていたはずだ。

アディダスは絶対無理なので次はヤスダの3本線だと!
デザインのコピーがダメだなんて、その頃は考えもつかなかった時代である。

それでもヤスダの3本線は7、8千円していたんだとおもうがよ!
それほどサッカースパイクは高かったのである。
by gsfc_aoshima | 2015-05-22 08:19 | どうでもいい話 | Trackback | Comments(0)
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