早稲田ア式蹴球部合宿所

1969年(昭和44年)3月、大学合格の発表があり、合格の書類を持ったまま、西武新宿線東伏見の早稲田大学ア式蹴球部の門を叩いた。

「こんにちわァ」と声をかけるのもほとんど人の気配がない。もういちど呼ぶと3年生になる松永章さんが出てきた。寝ていたのだろう。
「なに?」
「サッカー部に入りたいんですが」
「今、高麗大との定期戦でみんな韓国に行ってるので誰もいないんだが。どこだ?出身は」
「静岡の磐田南です。」
「バンナン?行ったことあるなぁ」
「松永さん達が来たのをよく覚えています。磐田農高に10−0で勝った試合ですよね」
「なんとか入部お願いします」
「そうだなぁ。そしたら布団と着替えを送ってこいよ」

そんなやり取りで入部が決まった。
まあ、押し掛け入部みたいなもんだが。
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合宿所はこんな感じだった。なにせ40年以上前のお話だ。
1998年に発行された早稲田大学ア式蹴球部75年史にも合宿所の間取りは出ていないのでオラが記憶を頼りに書いてみた。

昭和4年に東伏見にグランドが出来たそうである。
それから合宿所が出来たわけで、築40年と云っていいようなめちゃくちゃ古い建物である。
日本のサッカーの歴史が凝縮されたおんぼろな建物だが、川淵さんやら釜本さんやらお歴々もここで暮らしていたと思うと、ほんとモチベーションは上がった。最初だけだが!
むろん女子禁制である。

1号室から5号室までは和室の6帖だったと思う。
もちろんミーティングルームも和室である。
1号室は主将と寮長部屋。オラは4年のときは寮長だったのでこの部屋にいた。
2号室はマネージャールーム。電話はこの部屋にあった。女の子から電話がかかると「いません!」
3〜5号は3、4年生が寝起きしていた。各部屋2名だったが3名のときもあった。
6、7号室は新人の部屋だった。タコ部屋と呼ばれていた。
ひょっとしたらもう1部屋あったかもしれないが定かではない。
部屋は4帖の畳が敷かれた2段で4名から6名がここにいた。
この部屋はほとんど寝るだけといってもいいような部屋で、誰も勉強はもちろんしない。
押し入れで田舎の彼女に手紙を書く部員がいた。ー同期でジェフの社長をやった淀川クンはシコシコ書いていた。

タコ部屋の押し入れは1年生の悲哀みたいな落書きが数多く残されていた。
あの有名選手もか!

8号室はばあちゃん部屋と呼ばれていた。かつてこの4畳半に賄いのばあさんが住んでいた部屋らしい。
タコ部屋はあとから増築したようなので、この部屋は全く光が差さない。
オラは1年のとき、大阪の明星高校からきた、黒門通りの漬物屋の息子である合田クンとこの部屋にいた。
まさに大塚の下宿屋に舞い戻った感じがしていた。

便所はもちろん汲取で、掃除が難儀だった。汚い話だがウジがしょっちゅうどこからともなく這い上がってくるのでその度に4年の山本寮長にしかられ、正座がまっていた。

朝は7時起床で、3、4年生は寝間着のまま起き出して、体操してまたすぐ寝る。
1、2年は武蔵関公園までランニングとフィジカル。
1時限目の授業に出る者はランニングは免除されていた。
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合宿所の前で、寮長の山本和夫先輩との記念写真。
京都山城高校出身で高校日本代表のGK。
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4年生の時の写真だが、よく窓ガラスが割れていたのを思い出す。
あッそうそう。ストッキングはご覧のような足に引っ掛けるタイプの毛糸製が多かった。
by gsfc_aoshima | 2013-10-09 07:58 | ワセダ | Trackback | Comments(0)
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