大鵬さん

大鵬さんが亡くなったとの訃報。
昭和36年21才の若さで横綱。
昭和36年は小学6年生、東京オリンピックを3年後に控え、日本は大きく変わろうとしていた時代である。

戦後すぐの相撲ブームは、30年頃の栃若時代。
プロレスの力道山や大相撲の栃錦VS若乃花の対決をTVという媒体で国民全てが夢中になった。
TVがお店に入った、お蕎麦屋さんは連日超満員だった。
とりわけ、そばを注文しなくてもTVが見れた。
オラなんかも毎日、初日から千秋楽までそば屋に入り浸っていた。
もちろん、何も頼まない。金持ってないし!
誰でもどんどん入ってきても、注文しなくても店の主が何も言わなかった。
TVがあるということが名誉なことなので、「TVみさせて下さい」で済んだ。
入りきれなくて入り口ののれんのよこから覗いていた。
そして、勝負の終わったあとの分解写真を思い出して、次の日は子供たちが地面に書いた土俵でスロービデオならぬ分解写真を真似してカクカクしていたのを思い出す。

「巨人大鵬卵焼き」ってほんとに有名だったし、国民全てが知っていたと言っても過言ではない。
それも何年も続いていたことば。
昨今の流行語なんぞは1年経つと忘れちゃうが、ずっとずっと言い続けられていたからすごい。
「ワイルドだぜぇ」なんて新年むかえたらもう忘れた人もいるだろう。

流行語というよりも格言といったほうがいいだろう。

中日が好きで、栃錦が好きで、魚肉ソーセージが好きだったオラとしてはますますアンチになった。
あまりにも強すぎた。

それでも、大鵬さんのことは、なんであんなに肌が白くてきれいでつやつやなんだろう、なんて色男なんだろうと思っていた。
なんで、ケツがあんなにも汚い栃錦が好きだったとのかよくわからないがよ!

戦後生まれの団塊の世代の子供たちの遊びの一番は相撲だった。
なぜって?金がかからないからだ。
地面に丸い線を書けば遊べるからだ。
勝っても負けても子供たちは相撲に明け暮れた。
でも長い時間やるわけではない。すぐ飽きちゃうしつかれちゃうから。
取り口の業もみんな、ほんとよく知っていた。
若乃花の得意技「よりもどし」だけは誰も出来なかった。
足に必ず吸い付いて勝ってしまう琴ヶ浜のうちがけにみんな夢中になった。

上の子供たちが下の子供たちに上手と下手のマワシの切り替えのしかたを教えたりした。
体がでかいから相撲をするとかいうのはまったくなくて、町内の子供たち全員が相撲であそぶ。
もちろん、肥っている子はまったくいないので、力関係は運動能力だけだったと思う。
そういえば、この時代は川遊びとなると小学生は赤ふんどし、中学生になると黒ふんどしをしていたのを思い出す。
赤から黒に早くなりたいと思っていたなあ。

そして、大鵬、柏戸の拍鵬時代に入る。
二人ともでかかった。そして21、2で横綱!
柔の大鵬、剛の柏戸。
だから、体がでかくて、業というよりもなんとなく盤石で勝ってしまう大鵬さんはけっして子供たちのあこがれかと言うとそうでもなかったような気がするのが。
大人にはよかったのかもしれない。とりわけ若い女性には!
めちゃくちゃ人気あったし。
モロさがあった柏戸は大人の男たちに人気があったのかもしれない。

大鵬さんの全盛時代は双葉山の記録を抜くのは大鵬さんにしかないと言われていた。
45連勝で記録はストップするのだが、あれも相手の戸田関の足が出ていて、世紀の誤審だった。
ビデオを活用するきっかけにもなった取り組みだったと記憶する。

とにかく、双葉山を凌ぐ力士と言えば大鵬さんしかいなかったと思うし、もしこの全盛期の双葉山と大鵬を戦わせたら、大鵬が勝つのではと思う。

ご冥福を祈ります。合掌
by gsfc_aoshima | 2013-01-21 12:06 | 高尚な話 | Trackback | Comments(0)
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