菅平!

早稲田大学ア式蹴球部の夏は、長野県菅平高原での大学のセミナーハウスの泊まっての合宿。
この10年ほどは菅平だけでなく、いろんな所で行っていたようだが、震災以後は菅平のようだ。

今年も7月31日から合宿を行っているとのメールが来た。
合宿の模様がホームページに紹介されている。

菅平のスキー場のダボス、シュナイダー塔まで毎日ランニングしているとのこと。
オラたちが現役の頃、いまから40年以上も前なんだが、当時も合宿と言えばダボスである。
月曜日はダボス
火曜もダボス
水曜もやっぱしダボス
午前もダボス、午後もダボス
午前にダボス2連ちゃん。
朝から晩までダボスダボス
ダボスの歌を作って歌っていた上級生がいた。1年上の田中バカちかさん。

そして練習中、ダボスに行ってこいとも言われる選手も出る。大阪黒門の佃煮屋の息子、合田。
スパイクはいたまま。

とにかくア式の合宿はダボスで足がパンパンになる。
毎年、毎年,ダボスランニングでパンツ真っ赤になる選手がいた。いぼ痔の椿原さん。

オラはダボス走だけは抜群に強かった。
2番になったことはない。
いつもトップ。
ダボスの鬼助。
他に特長がないのでダボスだけ。
ア式の伝説になるほど、山登りは強かった。

ただダボス走りは強かったのであんまし記憶にはない。
強烈なのはヤッパし午前と午後の練習の締めのインターバルだ。
ゴールラインから向うのゴールラインまで16秒で入って、40秒で戻ってを繰り返す。
これがキツかった。
延々とやる。
もちろん練習中は水は飲まない。

考えたら、よくやっていたよな。
当時は今と比べたら暑くなかったのだろうか。

練習が終わったあとは蛇口を離さなくて水ぶくれ。おなか、たぽんたぽんで食事がのどを通らない。
苦しくて、涙も出ない。
今夜こそ夜逃げだ。
もう退部だ。
もう少しがんばろう!
そんなことばかり考えていた1年の夏合宿。

現に、朝起きたら逃げていなくなった同級生がいた。
菅平から上田の駅までバスで1時間。
みんなが寝静まってから歩いて逃げたということになる。

オラも紙一重の所にいた。
辞めずに済んだから今がある。

現役時代以後、菅平には行ったことがない。
どうにも足が向かないのである。
by gsfc_aoshima | 2012-08-03 07:44 | ワセダ