クラーマー名言集

日本サッカーのために来日した指導者は数多い。
多くの指導者、先人のおかげで今の日本サッカーがある。
そのなかでも1960年に来日し、日本のサッカーを近代サッカーに変えたのは小柄なドイツ人、デットマール・クラーマーさんだと思う。
オラが中学生3年生のとき東京オリンピックがあったわけだがクラマーさんの教えるサッカーが体育の授業でも取り入れられた記憶がある。

古いサッカーマガジンをなにげに覗いていたらクラマーさんの記事があった。
1967年、昭和42年8月号である。
オラがまだ高校2年である。
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ヤスダのスパイクはいていたよなぁ!
3本戦があればヤスダでも良かった。今でこそ誰でもアディダス履いているが、当時は日本代表でも履いてる人少なかった筈だ。
オラァは2本線のヤスダのSPダし!
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クラーマーさんや今は亡き八重樫キャプテン、森さんもこの試合に出ている
この号は日本代表がブラジルのパルメイラスと3戦を行い、第2戦に釜本さんの決勝ゴールで2−1で勝利している。
このとき来日したメンバーには38歳のジェマ・サントス、黒い弾丸ダリオ、このツォイのブラジル選手権得点王のドドなどが来日している。

話をクラーマーさんに戻そう。

名言集その中からいくつかを抜粋
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ヤマト魂を忘れたか!(1961年のワールドカップチリ予選のとき)

タイムアップの笛は次の試合へのキックオフの笛である。
東京オリンピックは終わった。さあ次の準備を始めよう。(東京オリンピック終了のとき)

コーチは技術を身につけていることが大切だ。腹の出たコーチ、背広を着たコーチにはコーチの資格がない。

ボールコントロールは次の部屋に入るカギである。このカギさえあれば、サッカーというスポーツはなんでもできる。

パルメイラスと全日本の実力を比べたら富士山と琵琶湖ぐらいの差がある。
だが精神力と作戦によって、富士山と琵琶湖の間に空中ケーブルをかけることもできるし、それによって富士山を征服することも可能だ。

サッカーの指導というのは子供から大学、全日本まで一貫したのでないとならない。人間の身体はどこか毛を一本ひっぱっても痛いと感じる。サッカーの指導というのはそうでなければならない。

そしてクラマーさんは東京オリンピックの直後のクラマー送別会にての言葉

ゲーテが死期に近づいたとき、ある人がゲーテに聞きました。あなたの長い栄光に満ちた生涯において得たものの中で、何が一番素晴らしいと考えていますか。
人間が所有することの出来るすべてのものを所有していたゲーテは答えました。
「良き、少数の友人とのサークルです」
わたしは、日本で多くのものを得ました。
しかしその中で一番素晴らしいものは、皆様方の友情です。
皆様とのこの友情は、わたくしたちの胸の中に残り、そして生涯けっして忘れることはないでしょう。

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以上

このなかにはなかったが、オラはこれに関連したクラーマーさんのことばでけっしてわすれることができないものがある。

「サッカーは素晴らしい。
恩師も素晴らしい。
それ以上にサッカーで得た心友はもっと素晴らしい。」
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ご存命である。
当時の指導者はクラーマーさん始め、長沼さん、岡野さんも若かった!!
サッカー維新の時代だったんだな。
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by gsfc_aoshima | 2012-01-18 05:41 | 日本のサッカー | Trackback | Comments(0)