横手の福田誠さん

オラが4年生の時の1年生に横手高校出身の福田誠という選手がいた。
大学卒業後は地元横手に帰り、進学塾を経営するなかで、横手FCというチームを持ち、長年にわたりサッカーを指導している。
東北のサッカー界ではつとに有名で、関係者で知らない人はないだろう。
そんな福田さんから昨日の投稿について、オラのfacebookに寄稿してくれたのでご紹介したい。

以下の通り
................................................................................

さきほど、苦しさ9割・楽しさ1割と
書きましたが、今は全く逆であります。
あの時の体験が今の自分を強くしている
のだと感謝の気持ちでいっぱいです。

現代であれば、まさに裁判沙汰になり
そうな40年前の非科学的な練習も、
それを乗り越えてきた自分の自信と
なっております。

数年前、人生最大の危機の際も、ある先輩
から言われた『あの練習からすれば、どう
ってことねぇだろう!』っていう言葉が、
自分を立ち直らせてくれました。

そう、あの菅平でのダボス往復ランの合宿や
インターバル!
13!14!15!16!!!
って夢でも魘されたインターバル走です

あの新人特訓を思えば・・・

他の誰よりも足が遅かった自分を、仲間が
背中を押して最後まで一緒に走ってくれた

なにかあれば、連帯責任で夜中まで
グラウンドを延々と皆で走らされた

でも、それは、後輩が憎いからというわけ
ではもちろんなく、私のようなサッカーの
サの字も知らないようなものを鍛えてあげ
ようという親心があればこそだと思います。

その意味で、鬼と思っていた先輩に対して
今では感謝の気持ちでいっぱいです。

ほんとうにありがとうございました!

そして、これからもよろしくお願いします!!
........................................................................
以上

ありがたいことである。

当時を思い出してみよう。

オラは昭和47年の4年生の時、選手兼新人監督兼寮長をしていた。
4年生の役割として、主務、主将、副主将、グランドマネージャー、新人監督、寮長が任命される。
8人しかいないのでほとんど選手がこれにあたる。
もちろん選手兼人である。

オラは小谷とふたりで新人監督をやらされ、合宿所にも入っていたので寮長も。
主務高島、主将山村、副主将淀川、グランドマネージャー工藤と小谷。
山岡と金は「おれは性格的にそういうお役目は無理」ということで無役だった。
無役が一番気楽でいいのだが、なにせ人がいない。

当時、新人監督は1、2年生から鬼谷、鬼島と呼ばれていた。
自分でも鬼島と確信していた。
相当理不尽な練習をしたと思う。

もちろん,新人だけの特訓はあるのだが、菅平合宿では同じ練習メニューで上級生も必ずインターバルもダボス往復ランニングもある。
1年生には過酷を通り越していたと思うぐらいきつかったにちがいない。

オラは超がつくぐらいスタミナがあったので、4年間ダボスランニングで負けた記憶がないぐらいランニングは強かった。
4年にもなるとインターバルも20や30は余裕だったし、いくらでも出来るぐらい走れた。
もちろん、筋肉パンパンでも走れるから不思議だ。
腹筋もめちゃくちゃ強かった。
3年間の積み重ねもあるし、最上級生として責任もあったし。
オラを含め、全員早稲田の理不尽な練習を乗り越えてきた。

サッカーのスキルアップとは全く関係ないと思えるような練習の連続だった。
そんなこんなで当時の堀江監督も少し、狂っているのではないかと思えるような練習を選手に課していたこともある。
だけどチーム力が上がるというのはどういうことなんだろうか?

そのあたりは明日以降、思い出しながら投稿したいと思う。
トラックバックURL : http://aoshima.exblog.jp/tb/17563402
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by gsfc_aoshima | 2012-01-08 06:46 | ワセダ | Trackback | Comments(0)