国見の戦い方の再検証
2005年 01月 05日
この試合も国見は、鹿島学園とやった時とおんなじサッカーである。後半、おたおたにはなったが、これはバックからのパスが渡邊一人に集中し、さしもの渡邊も一人ではなかなかキープが難しい結果だからである。この試合、浄後がボランチに下がった為に、DFからの精度が悪くなった為である。前半の浄後のポジションがどこだかわからないのでなんとも云えないが、FWにこの二人がいたほうがDFが楽になるし(キープできるので)、前めのMFがFWに追いつくので、ゾーンが広がらなくなる。
国見のサッカーはただ蹴るだけのサッカーとか、時代遅れのサッカーとかいう論調がある。僕はこの論調にはちょっと?である。球回しするのが近代サッカーなんだという輩もいる。前に行っちゃあいけんのかといいたくなる。
クリアボールをただ前に蹴るチームはどこにもいる。弱いチームほどそういうサッカーである。ぼか〜んと蹴って、わぁ〜と攻めるチームもゴマントいる。どこがそんな、どうでもいいチームと国見が違うのか、文章だけでは同じなのに圧倒的な違いがある。
一番大きな違いは精度ではないだろうか。体力や、走力は国見より優れているチームだってあるはずだ。それだけでは、毎年優勝したり、ベスト4に入って来ないのである。
そういった基本の上になんとはないキックに精度を積み重ねているのではないだろうか。
後半の盛岡商の盛り返しはそんな、国見のずれをついた得点だったような気がする。
国見は今日の試合に苦しんだ分だけ、準決勝は修正できるだけのチーム力をもっているようダラ。似たようなチームの鹿実戦は楽しみずらよ