ガチョ〜ンの谷さん亡くなられた。

クレージーキャッツの谷啓さんが自宅階段で足つまずいて頭を打ち亡くなられたという。
けっこうショックである。

クレージーキャッツの大ファンのオラとしては植木屋が亡くなったときも相当悲しかったが、今回の谷啓の事故は事故そのものはそうとう、間抜けなんだがファンとしては「なんでぇ?それって演技ぃ?」

老人の事故死の1番は餅、そして2番が階段と聞いたことがある。
オラんおっとさは餅だったが、谷啓が階段とは!
蒲田行進曲の階段落としをやっちゃったとは、谷さんらしいといっちゃえばそれまでだが、植木屋の亡くなり方に比べると明るい死に方と言えるかも!

とにかく、クレージーの映画はほとんど見てるし、レコードだってけっこう買った。
「青島だぁ〜」の反語でもある「谷だぁ〜」もよかったよな。
「ヘンチョコリンなヘンテコリンな娘」なんてもう最高だに!

ここんとこでは「釣りバカ」の佐々木課長はもうこれ以上のはまり役はいない。
谷さんのエピソードが面白いのでご紹介したい。

以下の通り
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1964年の東京オリンピックの際は、テレビでオリンピックの選手たちを観て「ものすごく素晴らしい」と大感動し、「それに比べてオレのやっていることは」と、仕事中は欝状態におちいったという。
植木によると、東京オリンピック当時はオリンピック選手に間違われたくて、当時の選手団のユニフォームだった赤のジャケットを着て出歩いたり、自宅の電話の受話器を重量挙げのバーベルに見立て、電話の横にロージンバッグを起き、電話に出る前はそれで滑り止めの粉を付け、「フンッ」と勢いをつけてから受話器を取るなど、奇行の人でもある。
恥ずかしがり屋の反面、その自分を嫌って「逆に派手なこともする」性格で、車はずっと外車に乗っている。一時は、ど派手なアメ車サンダーバードばかりに乗っていた。
1968年に三鷹市に家を新築したが、1969年1月19日に火事になり全焼。啓はこの時、「火事のシーンを撮りたい」と、わざわざ家にひきかえし、家庭用8ミリ映画のカメラを持ち出したが、フィルムが入っていなくて、撮影できなかったという。また、当時は麻雀に熱中しており(メンバーは、小野ヤスシ、なべおさみ、人見明など)、焼け跡に麻雀牌と麻雀卓が残っていたことから、焼け跡で見舞い客たちと麻雀を打った。
火事の後に建て直した家は、玄関から全部屋に音が流れるようになっていて、啓が深夜に帰宅すると「ただいま帰りました、起きている子供は集合するように」と放送して、子供たちを集め、思いつくままの空想やひらめきをアクションまじりで話し、子供たちと夜中に大熱中していたという。
怪奇映画、ホラー映画の、大の愛好家である。
「足の水虫が好き」で、まったく治療せず常に水虫状態だったという。靴を履いている時に「むずがゆいのを我慢する」のが気持ちよく、また、耐え切れなくなって掻く時の開放感もたまらないという。

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以上 Wikipediaより
泣けてくるほどアホでいいよな!

これでクレージーで残っているのは犬塚さんとセンリさんの2人だけになってしまった。
悲しいですがしかたがない。

あっちに行ったらハナさんやら植木屋たちが待ってるんだろうな。
楽しそうだよな
谷啓さんに改めて合掌。
by gsfc_aoshima | 2010-09-13 06:27 | 高尚な話 | Trackback | Comments(0)
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