1967年、早稲田大学ア式蹴球部3冠

昭和42年というと1967年、いまから43年前のお話である。
オラは高校2年生だ。
なにはともあれサッカーマガジンのトップ記事はこれだ。

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前から森さん、今は亡き名相銀の松永さん、釜本さん、現在早稲田クラブで中学生を教えている大野さん、小さく写っているのはGKの1年赤須さん
あこがれのえんじのジャージである。
オラも当時、公式戦で使用したえんじのジャージを持っている。
合宿所から無断で持って来てしまったのかもしれない!
もう時効だに!
ただインカレで優勝した時の自分が着たユニホームは記念にもらったが、実家のタンスの奥にしまってあるはずだ。
もう40年以上出したことがなくナフタリン漬けになっているのはまちがいない!
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大事なのは釜本さんの目だと思う。ハンターの目だ!
この時の東洋(今のサンフィレッチェ)のGKは日本代表の船本さんである。
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釜本さんは1人で行ってもびくともしないし、2人か3人で反則承知の上で行かないと止められない。
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何せこの時代の東洋工業は日本リーグでもだんトツでほとんどの選手が日本代表に入っているものすごいチームだった。
今の鹿島以上かもしれない。
何せだんトツなんだから!

ア式の歴史上さんぜんと輝く偉業だ。
この時より今日まで学生の天皇杯優勝はない。
この2年あとに立教が決勝まで行き、釜本さん率いるヤンマーに敗れるのだが、以来準決勝進出すらないと記憶している。
なおこの試合の経過は
ア式3(1−1、1−1延長戦1−0、0−0)2 東洋工業
得点、東洋小城(FK)、ア式釜本→野田、東洋小城(PK)、釜本→野田、釜本→田辺

注目したいのは日本サッカー100年の歴史の中で釜本の前に釜本なし、釜本の後にも釜本なしといわれている釜本さんが3アシストをしていることだ。
これは釜本さんの遠くを見る目がすぐれており、味方の動きやら状況判断に対応する能力の高さだと思う。
点を決めたのは1年前の高校選手権で優勝を分けた明星高校出身の野田さんと、習志野高校の田辺さんである。
どちらも優劣つけ難い高校NO1のFWだった。
オラが1年生のとき、毎晩4年生の田辺さんのマッサージ係だったし!
後に野田さんはヤンマー、田辺さんは大学2年から日本代表で古河でも大活躍された。
野田さんとは先日の納会でもお会いしたが、田辺さんとは久しくお会いしていない。

まあ、とにかくめちゃめちゃこの時代のア式は強かったということだけははっきりしている!
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Commented by 後藤英輔 at 2010-02-11 22:58 x
青島さま

WMW56ゴトーです。

たびたび恐縮です。

納会は、通っている鍼灸学校の期末試験だったため失礼いたしました。

アディダスのスパイク、ほれぼれしますね。

天皇杯の決勝で釜本さんが履いているのはその「ディアマント」でしょうか?

私が知っているのは「ワールドカップ」と「モデル2000」です。

「ディアマント」は知りませんでした。

ほんと、この頃のアディダスは別次元でしたね。昭和40年代のアディダス、プーマがいまでも最高だったと思います。

余計なことですが、昭和40年代のサッカーですよね?
(1940年代となっておりますが)

また、1981年に筑波大学が天皇杯で準決勝まで行ってます。優勝した日本鋼管に負けてます。浦和南出身の野崎や森田がいたチームです。

失礼しました。

昭和40年代シリーズ、楽しみにしております。
by gsfc_aoshima | 2010-02-11 06:56 | ワセダ | Trackback | Comments(1)